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箱根駅伝“走れなかったキャプテン”たちの悲哀…青学大・原晋監督が流した涙「神林には10区を…棄権しても、予選会からやり直したっていいんだ」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byWataru Sato
posted2024/01/04 11:02
元青山学院大学キャプテンの神林勇太。2021年の箱根駅伝は仙骨の疲労骨折で走ることが叶わなかった
「神林はこれで引退なんです。もう走れないんですよ。本来、箱根駅伝での給水や付き添いなどの役割分担は選手が決めるんですが、『神林には横浜の給水を頼みたい』と、これだけは学生たちにお願いしました。なぜなら、テレビに映るし、30mほどですが、いちばん長く走れるからです」
ミックスゾーンでは、原監督の思いが溢れていた。むしろ、その後にやってきた神林の方が、冷静だったかもしれない。
「いつもの年末は、選手の立場だったら本当に時が“秒”で過ぎていくような時期なのに、今回ばかりは1日が長くて、長くて」
神林の卒業後も、たびたび会う機会があるのは、私としてもうれしいことだ。
“55年ぶりの箱根駅伝”立教大学キャプテンの思い
2023年には、55年ぶりに箱根に戻ってきた立教大学のキャプテンが箱根を走れなかった。ミラー千本真章だ。
私は彼とは少なからぬ因縁があった。わが家の息子が中学3年の夏に、立教新座高校の練習会に参加した。その時、高校3年生でインターハイの800mに向けて準備をしていたのがミラーだった。その後、高校の卒業論文の執筆にあたり、箱根駅伝をテーマにするということで、私もアドバイスをさせてもらったが、直後に立教は激動期を迎える。ミラーの高校3年の冬に上野裕一郎監督の就任が発表されたのだ。
「高校のホームルームでそのニュースが流れてきた時の興奮は忘れられません」
環境は激変。大学入学後には1500mで日本選手権に出場。スピードランナーとして存在感を示した。そして最上級生になるにあたって、ミラーはキャプテンに立候補し、夜10時半消灯や体調報告のためのLINEノートなどを立ち上げていく。
「中学校から立教に通っている自分が、立教らしさを体現できるのかなと思ったんです。立教って、校歌にも『自由の学府』とうたわれているんですが、学生たちにとって、自由ってキーワードなんですよ。でも、自由とワガママは違いますよね。集団で生活していることでの責任もありますし、選択には自由と責任が伴います。なんでもかんでも、自由にしていいわけじゃない。新しい規則が作られて、後輩たちのストレスは分かりました。でも、部としては強くなることが目的なわけで、責任について考える機会があってもいいと思ったんです」
たしかに部は強くなった。ミラーをはじめ4年生は走れなかったものの、2022年の予選会でついに本選出場を決めた。