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箱根駅伝「ゴール直前で交差点を間違えて…」あの“寺田事件”の真相とは?「中継車だって曲がったじゃん…」寺田夏生が語っていたホンネ
posted2024/01/04 11:01
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Asami Enomoto
「えーっ!」まさかの11位転落に前田監督は驚愕
厚底時代から少し時計の針を戻そう。
2011年の大会は早稲田と東洋の稀に見る激戦で記憶されているが、もうひとつ、シード権争いが激烈だったことでも印象に残る。
フィニッシュ地点まで日体大、青山学院、國學院、そして城西大の4校が「3議席」を争うという展開になったのだ。
結果的には8位日体大、9位青山学院、10位に國學院が滑り込み、城西大がシード権を逃した。しかし、それまでのドラマが盛りだくさんだった。劇的な展開を生んだのは、早めにスパートを仕掛け、4人のなかで先頭に立った國學院の寺田夏生が、間違えてゴール手前の交差点で曲がってしまったことだった。國學院はシード権確実かと思われていたが、一気に11位へと転落してしまったのだ。
この時、『もうひとつの箱根駅伝』(日本テレビ)では、運営管理車の前田監督のリアクションが映っていて、「えーっ!」と驚愕の表情を浮かべていた。私も記者室でたまげていたが、そこに残っているのは一部の記者だけだった。大多数の記者は優勝した早稲田、2位の東洋の取材に向かっていたからだ。
それからフィニッシュ地点までの争いは、息もつかせぬもので、道を間違えた寺田はまだ余裕があったのか、諦あきらめずに追走、最後の最後に城西大をかわしてシード権を確保した。
フィニッシュ後、タオルを肩にかけてもらった寺田は、ひたすら「あぶねえ、あぶねえ」と言っていて、そりゃ本当にあぶなかったねとねぎらってやりたい気持ちになった。
いまやその交差点は「寺田交差点」と駅伝ファンの間で呼ばれているが、私はこの一連の出来事を「寺田事件」と呼んでいる(高校2年から狂信的に日本史の受験勉強をしていた私は、「寺田屋事件」という単語から逃れることが出来なかったのだ)。