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「あんたら、おかしいよ?」楽天・初代編成部長が見た“地獄”…まさかの“スカウト0人”でドラフト会議「他球団が絶対に指名できないピッチャーがいた」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/21 17:20
2004年11月、楽天のマーティ・キーナート初代GMとドラフト1位指名された明治大の一場靖弘投手
「正式に参入が決まるのは11月2日のオーナー会議を経てということでしたが、電話を受けた時点で、99%楽天で決まりだということでした。呼び出された六本木ヒルズでは、分配ドラフトと通常のドラフト会議にも参加してくれと言われました。でも、当たり前ですが急造の新球団ゆえにスカウト活動はおろか、スカウトもいない状態。『そんな状態でどうやってドラフトするの?』と聞いたら、『広野さんには情報と球界に利く顔がある。そのために呼んだんだから、なんとかしてくれ』と。『あんたら、おかしいんじゃないの?』と、びっくりしましたね(笑)」
このような無茶振りから、広野の楽天創生の仕事が始まったのだ。
「他球団が指名できない即戦力ピッチャーがいた」
まずは、目前に迫った分配ドラフトが目下の仕事だ。分配ドラフトとは、オリックスと近鉄の選手を新球団であるオリックス・バファローズと楽天で振り分けるもので、楽天の参入が認められた6日後の11月8日に行われた。その結果、40選手の楽天入団が決まったが、広野は彼らの背番号や年俸をすべて決めたという。
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「40人の給料を決めるのは大変ですよ。しかも、そこまで大金は出せないから、前年度の給料より下げなきゃいけない場合もある。しかし、大幅な減額だと税金などが払えなくなる選手もいたため、年俸以外のインセンティブをつける必要がありました。試合数、打席数、打率、打点とかの項目で、その選手がクリアできるようなボーダーと金額をすべて計算しました。背番号でも、近鉄とオリックスではダブる選手もいますし、それぞれこだわりがありましたから、その調整作業もしましたよ。例えば、山﨑武司(元中日、オリックス 、楽天)が希望していた7番をうっかり先に若手につけてしまったことがあった。そんな場合は、『あいつがつけたいと言っているから、その背番号譲ってくれないか』と選手たちに直接電話するんです」
分配ドラフトから9日後には、鬼門のドラフト会議が待っていた。広野は持てる人脈を駆使してドラフトに臨んだという。
「かつて編成とコーチを務めていたロッテと中日にいた馴染みのスカウトに電話しました。彼らがその年でスカウトを辞めるのは知っていたし、次は楽天で雇うという約束もして『お前が個人的に持っているドラフト候補の資料や情報をくれ』と。当然ですが、もう他球団では指名選手がほぼ決まっていましたから、正直一線級の選手は残っていませんでした。しかし、他球団が指名したくてもできない即戦力ピッチャーが、その年のドラフトにはいたんです」
それが一場靖弘だった。
<続く>