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「大変です、田尾クビです!」楽天・初代編成部長が見た“地獄”「この球団にいたら、いつか死ぬな…」“突然すぎた”野村克也監督就任のウラ側

posted2023/12/21 17:22

 
「大変です、田尾クビです!」楽天・初代編成部長が見た“地獄”「この球団にいたら、いつか死ぬな…」“突然すぎた”野村克也監督就任のウラ側<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2005年12月、楽天イーグルスで就任会見をする野村克也監督

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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JIJI PRESS

50年ぶりの新規参入球団として誕生した楽天イーグルスも、今年創立19年を迎えた。いくつも苦難のシーズンを乗り越え、2013年には24連勝の田中将大を擁し、悲願の日本一を達成。今や人気球団として定着したが、その創成期は波乱続きであった。楽天の初代編成部長を務めた広野功に当時の様子を聞いた。【全3回の後編/前編中編へ】

◆◆◆

オーナーから“怒りの電話”

 現役時代は、サヨナラ逆転満塁ホームランを2本放った、プロ野球史上唯一の男、広野功(元中日、西鉄、巨人など)。引退後は中日スポーツ記者を経て、中日やロッテ、西武のコーチやフロントを経験した人物である。そんな球界を知り尽くした広野は2004年11月に楽天の初代編成部長に就任し、スカウト活動なしのドラフトなどを乗り切ってきた(※前編、中編)。

 しかし、チーム力は他球団と歴然の差があった。球団創設の最初のシーズンとなる2005年、11連敗を喫した4月末、あまりの惨状に激怒した三木谷浩史オーナーは「You are fired!(お前はクビだ!)」といい、マーティ・キーナートをGMから解任。そんな混乱の中、編成部長であった広野にGM代行も兼任するという御鉢が回ってきたのだ。GMとなった広野は、常時チームに同行していたという。しかし、マーティの更迭やコーチ陣の配置換えでテコ入れを図ったものの、そもそもの選手層に難がある楽天にとって勝利は遠いものだった。

 敗戦の度に、オーナーは米田純球団代表(当時)を電話で叱責していた。広野も米田から電話を代わり、オーナーへ戦況を説明することが度々あったという。

「ある日のソフトバンク戦も敗戦しました。すると、米田が『広野さん、今日またオーナーに報告しなければいけないので、私に代わって説明してもらえませんか』と言うわけです。引き受けたところ、やはりオーナーは電話口で激昂している。私は『今の戦力では今年はそんなに勝てません。オーナーからもらった補強費は20億でしたが、他球団は40億近くあります。20億で作ったチームが40億のチームに簡単に勝てたらおかしいですよ。チームが育つまで、あと3年は我慢してほしい。10年後には優勝できますから』と説明しました。オーナーは経営者ですし、元銀行員で、父親は経済学者。野球の技術云々よりも数字で説明したほうが納得するんです」

奥さんから「命を落としたらどうするの?」

 オーナーへの報告を済ませた広野だったが、直後に体に不調をきたしてしまう。

【次ページ】 奥さんから「命を落としたらどうするの?」

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