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「打ち取るイメージが浮かばない…」相手投手もお手上げだった1994年のイチロー20歳とは何者だったのか「イチローに駆け引きは通用しない」
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byTakao Yamada
posted2023/12/22 17:00
1994年に当時のプロ野球記録となるシーズン210安打を放ったイチロー。200安打を超えたのも史上初だった
「彼の場合はストライクゾーンが普通の人のボールゾーンにまで広がっている。だからボールを使いながら組み立てるということができない。結局、当時のロッテの投手でいえば、 伊良部さんならストレート、小宮山さんならストライクからボールになる精密な変化球という具合に、それぞれのベストで組み立てていくしかない」
左打者には左ということで左投手が対戦する機会も多かったが、効果はなかった。園川一美はイチローがレギュラーになった1994年、18打数13安打と呆れるぐらい打たれた。
「彼がレギュラーになる前の年、神戸でアップしながらオリックスの打撃練習を見ていた。そのとき彼が出てきてね。実に気持ちよさそうに打っている。音もすごいし、飛距離だってほかの長距離打者に負けていない。なんで先発で使わないんだろうって思った」
その評価通り、次の年には痛い目に遭う。
「最初はこっちが左なので、そんなに打たれないだろうって思っていた。外角にスライダーを甘くならずに投げていれば、大きいのを打たれることはないだろうってね。でも、ほかの左打者ならきっちり打ち取れるスライダーを何度もヒットにされた。それで手がなくなった感じでね」
園川は先発として、翌日に対戦する打者を1回の1番からイメージして投球を組み立ててみる。
「ところがオリックスの場合はイチローが1番にいるので、打ち取るイメージが浮かばない。だから1回から全然イメージトレーニングが進んでいかないんだ」
もちろん手を焼いていたのは千葉ロッテばかりではない。古久保健二は94年当時、近鉄でマスクを被る機会が多かったが、やはり攻め手のなさに苦労させられた。
「彼のことは93年に長岡で野茂からホームランを打ったので覚えてはいた。あれが最初のホームランだったんだね。でも、打撃の記録を作るような選手になるとは、その時だって思わなかったね」
ゴロを打たれるとセーフになる確率が高い
古久保がまず困らされたのは一塁ゴロを投手がベースカバーしてアウトにするいわゆる3−1のプレーがセーフになってしまうことだった。