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「打ち取るイメージが浮かばない…」相手投手もお手上げだった1994年のイチロー20歳とは何者だったのか「イチローに駆け引きは通用しない」
posted2023/12/22 17:00
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
Takao Yamada
阿部珠樹氏のスポーツノンフィクション傑作選『神様は返事を書かない』(文藝春秋)より「イチロー 210安打の戦慄」の項を紹介します。<全2回の前編/後編へ>
1992年の鈴木一朗
1992年のジュニアオールスター(現在のフレッシュオールスター)は、同点で迎えた8回、代打で登場した全ウエスタンの鈴木一朗が決勝の本塁打を放ち、MVPを獲得した。全イースタンの捕手だった千葉ロッテの定詰雅彦はこのときはじめて鈴木一朗という選手を頭に刻みつけた。
「それまではほとんど知らなかったんですが、細い体でポコッと代打に出てきて、簡単に決勝のホームランを打つ。一発でMVPですからね。いいところを持っていくなあと思いましたよ。今の言葉でいえば『持ってる』という感じ」
MVPをさらっていく男の名前と打撃センスを焼き付けたので、2年後、レギュラーでヒットを量産しはじめてもさほど驚きはなかった。
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「はじめはそんなに脅威じゃなかった。ぼくらは打球を質でA、B、Cの3段階にランク付けする。結果とは関係なく、質を見るんです。開幕から6月ぐらいまではイチローの打球はCランクが多かった。だからボテボテのゴロに注意するくらいで特に対策を立てることもなかったですね」
そうするうちに、史上最速のペースで100安打をクリアし、無人の野を進みはじめる。 さすがに対策を立てなければならない。かといって簡単には見つからない。レギュラーに 定着しはじめた若い定詰は、西武の伊東勤や日本ハムの田村藤夫といったベテランともひそかに情報交換し封じ込めを図ったが、決定打は見つからなかった。
打ち取るイメージが浮かばない…
「右投手のインハイのスライダーでフライアウト。思い浮かぶのはそれぐらいでしたね」
すでにシーズンなかばには手のつけられない存在になっていたのだ。