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サムライブルーの原材料BACK NUMBER
「あんたの犬じゃない!」ラモス瑠偉がいま明かすオフト監督との衝突秘話「森保にボールを要求しても…」「ドーハの悲劇は“悲劇”なんかじゃない」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/12/18 17:01
1992年のアジアカップ優勝や93年のドーハの悲劇について、日本代表の10番を背負ったラモス瑠偉が赤裸々に明かした
「横山さんから自由を与えられたし、その責任を感じていた。生意気を言わせてもらったら、私の力を出し切ることができたら日本は強くなると思っていたよ。だって読売クラブでもそうしてきて、実際にそうなっていったから」
横山体制での可能性を感じていただけに、スムーズに気持ちを移行できないでいた。ラモスを頼った前任者とは真逆のアプローチでやってくるのだから、反発の火もなおさら強くなる。サイドばかりを意識させる戦術も、気に食わなかった。
「読売クラブは中にいる私を経由して攻撃していくのに、オフトの場合は真ん中よりサイド。私が真ん中で受けられるのに、ここでボールを持ったらチャンスだし、その絵が描けているのにわざわざ1回開かせる。(中盤の)底にいる森保(一)にボールを要求してもオフトの指示どおりに外、外。私、使われないから“こんなんじゃつまんないよ”って練習中に大声で言ったね」
「あなたがいなくなったら勝つのは難しくなる」
不満を強めるベテランと、眉をひそめる指揮官。衝突必至の2人の距離を縮めるきっかけとなったのが8月のダイナスティカップ前に行なったオランダ合宿だった。キャプテンに任命された柱谷がオフトと選手の間に入って、戦術、規律を含めて調整役になっていた。
「哲ちゃんに、言われたよ。ラモスさん、あなたがいなくなったら代表チームが勝つのは難しくなる。まずはオフトの言っているとおりにやってみようじゃないか、と。私も考えたよ。じゃあ哲ちゃんの言うとおりにしてみようかと思った」
あくまで渋々の了承である。そんな折、オフトと直に話す機会があった。カプチーノを飲んでいたときに監督のほうからやって来たのだ。言いたいことは山ほどある。咄嗟に出たのが、オランダの地でアマ代表やクラブチームとばかり試合をやらされることだった。
「私たちにも日本代表としてプライドがある。もっとA代表同士で試合がやりたいと言ったら、あの人賢いなって思ったね。相手が代表なら(日本は格下だから)手加減する。でもクラブチームなら、ナショナルチームを食ってやろうってしっかり戦ってくれる。私は戦える、たくましいチームになってほしいからこうやっているんだ、とね」
戦うチームにしていく。そこに対して異論はまったくない。オフトは真剣にチームのことを考えているのだと思えた。反発の一端が雪解けしただけであって、噛みつきそびれたくらいの感覚しか当時はなかった。
オフトから「瑠偉はやれそうか?」
オフトに信頼を寄せる決め手になったのが、東アジアチャンピオンを決める北京でのダイナスティカップである。2年前は最下位だった大会。日本はグループリーグで韓国代表に引き分けながらも中国代表、北朝鮮代表に2連勝して、韓国との決勝戦に進んだ。