Number ExBACK NUMBER
藤井聡太は「むしろ負けてよかった」…師匠・杉本昌隆がそう振り返る一局とは?「将棋の神様が、わざと勝たせなかったのだろう」
text by
杉本昌隆Masataka Sugimoto
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/12/23 06:04
藤井聡太の師匠・杉本昌隆が「負けてよかった」と振り返る一局がある。その一局とは…
今までに見たことがないほどの苦笑い
三勝一敗でシリーズを終えた後、棋王戦就位式での三人(杉本、藤井聡太棋王、室田伊緒女流二段)のトークショーで、「将棋の神様が、わざと勝たせなかったのだろう」と伝えると、藤井は今までに見たことがないほどの苦笑の表情を見せていました。
その後の名人戦では、そのような危うさを感じることはまったくありませんでした。
藤井にとって初の持ち時間が九時間というのも、実は好材料の一つでした。やはり長ければ長いほど、読む時間も増えます。読み比べになれば、現在、藤井に勝る棋士はいません。その意味でも、初めての挑戦とはいえ、万全の状態で向かうことができたといえるでしょう。
そうして迎えた名人戦第五局。渡辺さんはやはり角換わりではなく菊水矢倉を選び、対する藤井は雁木で迎えました。二日目昼頃の段階で優位にあったのは名人の側。AIの評価値が示していたのは、およそ六対四で渡辺名人有利、でした。
形勢を変えた、藤井の「角」
六対四といってもその内容は様々です。この時は比較的有利な先手側の渡辺さんがそのまま押し切りやすい状況というのが、私も含めたプロの第一感でした。
それは両対局者も感じていた─いや、藤井はもっと前の段階、一日目の封じ手前の段階から苦戦を意識していたようです。一日目の段階で藤井は自分の失敗を感じ、おそらく渡辺さんは行けると思っていた。その流れは二日目の昼になっても変わらずにありました。
その形勢を変えたのは、藤井の「角」です。
具体的な手順でいえば、6六角。それは、一見すると角が渡辺さんの金にただで取られてしまう可能性の高い手でした。
何も考えずに、角を取る手もあったはずです。それはいかにも取ってくださいというような手でしたから。その先のことはそれから考えればいいと、直感のみで進める棋士すらいるかもしれません。
杉本が感じ取った渡辺の変調
ところが、ここで渡辺さんはおよそ一時間の長考をします。