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妻はブラジル柔道代表監督、4歳下の夫は育児・家事と並行して…「全員、懸命に任務を遂行しました」5人家族のドラマと“斬新な幸せ”の日々
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJIJI PRESS/Yuko Fujii
posted2023/11/25 17:01
2013年、ブラジル男女代表技術コーチ時代の藤井裕子さんと、一家の最新写真
「このような人生を歩むことになるとは、全く予想していませんでした。素晴らしい人たちに会うチャンスに恵まれ、思いがけないことが次々に起きて、気がついたらこうなっていた、という感じ。英国でもそうでしたが、とりわけブラジルでは素晴らしい時間を過ごさせてもらっています。
責任が重いけれど、やりがいがある仕事を任せていただき、私一人ではなく家族全員で懸命に任務を遂行してきました」
他者を敬いながら心身を鍛錬する精神がブラジルにも
――今年7月から裕子さんがコーチを務めるレアソンは、2000年、当時はまだ現役選手だったフラビオ・カント(注:2004年アテネ五輪の男子81kg級で銅メダル)と彼の恩師が、「貧困家庭で育った子供たちを非行に走らせるのを防ぐ」という目的でリオのスラムでボランティアとして柔道を教えたのが始まりでした(NGOとして正式に設立されたのは2003年)。以来、ラファエラ・シウバら逸材を輩出しています。
フラビオ、ラファエラを含むブラジルの柔道関係者が異口同音に言うのは、「ユーコは、技術指導もうまいが人間性が素晴らしい」、「柔道の精神を体現しており、それを選手たちに伝えてくれる」という言葉でした。
「そう言っていただけると、少し面映ゆい気がします。でも、ブラジルではどの道場にも嘉納治五郎先生の写真が掲げられており、他者を敬いながら心身を鍛錬するという柔道の根本的な精神が良く理解されています。それは、私の前にも多くの日本人や日系人の選手、指導者らが努力をしてブラジル柔道の伝統を築いてきたからだと思います」
“気難しい”女性柔道家が金メダリストになるまで
――ラファエラ・シウバはブラジル映画「シダージ・ジ・デウス」(※日本公開タイトル「シティ・オブ・ゴッド」2002年制作。リオの貧民街におけるギャングの抗争を描き、世界的にヒットした)の舞台となった非常に危険な地区の出身。子供時代にストリートで男の子たちと喧嘩ばかりしていたことから、父親が「喧嘩する時間を与えないため柔道を習わせた」そうですね。日本ではまずありえない動機であり、指導するうえで困難なこともあったのではないでしょうか?
「気難しいところもあったけれど、根は素直ないい子なんです。ただ、人間を見る目がシビアで、好き嫌いが激しい。私とは最初からウマが合って、指導を受け入れてくれた。ただし、リオ五輪前には強烈なプレッシャーを感じて調子を落とし、『日本式の柔道にこだわりすぎて大胆さがなくなった』という声もあって、一時は私の指導を受け付けなくなった。しかし、やがて私との個人練習を再開し、栄光をつかんだ。彼女のそれまでの苦悩と苦闘を知っているだけに、嬉し涙が止まりませんでした」
◇ ◇ ◇
日本とは地球の反対側にあるブラジルの柔道家を、金メダリストに導く――。それだけでもドラマチックである。しかしリオ五輪後、藤井さん夫婦にはさらに予想もしない出来事が次々と起きていった。
<第2回に続く>