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森友哉は「ヤンキーで悪そうに見られるけど…」盟友の大阪桐蔭“控え捕手”が明かす素顔「野球にめちゃくちゃ真面目」「ふたりでよく喧嘩もした」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/10/21 11:00

森友哉は「ヤンキーで悪そうに見られるけど…」盟友の大阪桐蔭“控え捕手”が明かす素顔「野球にめちゃくちゃ真面目」「ふたりでよく喧嘩もした」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

今季、オリックスで打率.294の成績を残した森友哉。大阪桐蔭時代を同級生で同じ捕手のポジションだった盟友が振り返る

 甲子園常連の指揮官の問いかけに、久米さんは「はい、野球が一番好きです!」と即答。その場で「じゃあうちでやろう!」と進学が決まった。同じポジションの強大なライバルとなる森も大阪桐蔭に進むことは後に知るのだが、久米さんは当時、その存在を大して気にしていなかったのだという。

「中学時代の森はヤンチャな奴でしたから(笑)。高校に入ったら野球はやめるだろうと勝手に思っていたんです。どうせ練習も適当にやるんだろうな、って。でもそのイメージは練習初日に一瞬で消えました。元々はヤンキーで悪そうに見られるけど、実際のところ野球に対してはめちゃくちゃ真面目で努力家だった。その素顔が見えた時、こいつすげえわって、衝撃を受けましたね」

ほんまにしんどい、という記憶しかない

 当時の大阪桐蔭は黄金期にさしかかっていた。1学年上には2年生エースの藤浪晋太郎(ボルチモア・オリオールズ)がいた。藤浪が3年生となった春のセンバツ大会では、2年生の森とバッテリーを組みセンバツ初優勝。夏の甲子園も制して史上7校目の春夏連覇を果たすと、秋の岐阜国体でも優勝し「高校3冠」を達成した。まさに最強世代といえるその練習風景は久米さんにとってどんなものだったのか。

「1年生の時は野球どころか、毎日の練習について行くのが必死で、3年間って本当に終わるのか? と不安になった事もありました。大阪桐蔭の練習は基礎的なことの徹底です。体幹トレーニング、走ること、キャッチボールと当たり前のことばかり。でも振り返ってみると、きついトレーニングも根性論ではなく根拠のある練習だったと感じます。あの当時は必死に耐えているという感覚でしたが、大きな怪我なく社会人まで野球がやれたのはその土台のおかげやな、と心から思っています」

【次ページ】 森に絶対勝つんだと本気で思っていた

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