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佐々木麟太郎18歳のアメリカ行き「悲観する声」のナゾ…高卒→留学した元球児が証言する“アメリカで見た”日米ドラフト候補の決定的な違い 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/10/13 17:01

佐々木麟太郎18歳のアメリカ行き「悲観する声」のナゾ…高卒→留学した元球児が証言する“アメリカで見た”日米ドラフト候補の決定的な違い<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

プロ志望届を出さずアメリカ留学の意向を表明した佐々木麟太郎(花巻東)

「日本の大学の方々からも熱心に声を掛けていただきましたが、いろいろな選択肢を1つずつ見て、アメリカの大学を目指そうと。野球選手としてまだまだ未熟だと思っています。さらに上を目指せるように、イチからしっかり練習をしたい。これから体験したことのないところで勉強をして、いろいろな経験をして、次につなげられるようにしたいです」

 18歳が下した大決断を、懐疑的に見る向きも少なくない。

 アメリカの大学に留学して、メジャーリーグを目指すことがどれだけ無謀な挑戦か。そうした論調で彼の決断を批判するメディアも存在する。アメリカでの生活の過酷さを半ば誇張して広めるのも応援したくないからだろう。

 しかし、果たして、今回の挑戦は無謀なのだろうか。

米留学した“元球児”の証言

 神奈川県川崎市高津区で学童野球チームパイラスアカデミーを運営する小林巧汰さんは、日大高校を卒業後、アメリカの大学に留学した。

 小林さんは当時の体験をこう語る。

「野球ってこんなに楽しいものなのかと感じましたね。中学は高橋周平選手(中日)と同じチームにいたのですが、その後の高校の時も、いつ辞めようかばかり考えていました。だけど、アメリカの大学では『もっと野球がやりたい』、そんな気持ちにさせてくれました」

 練習時間が短く、足りないとさえ思えるほどの時間で終わるために、野球への欲求が高まるのだという。

 一方、学業は大変だった。英語力をつけることはもちろん、「僕はファイナンスを学んでいたんですが、ほぼ毎日、朝まで勉強していました」という。

アメリカで見た「両立のリアル」

 もっとも、小林さん自身はメジャーリーグを目指すというようなレベルではなかったが、チームメイトにはドラフトで指名された選手もいた。そんな環境で、野球と学業を両立したことで、多くの学びを得たという。

「僕のいた大学は、学校の成績、いわゆる評点平均がある一定以上ないと練習に参加できないんです。でも、誰もそれを『文武両道』と言ってる人はいなかった。そもそもそんな言葉もない。勉強ができて初めてスポーツができる。そこで感じたのは、学生がその後の人生について考えていたこと。大学卒業後や、野球人生が終わった後のキャリアについての意思決定力が僕らより圧倒的に高かったですね。 

【次ページ】 思い出す菊池雄星の言葉

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