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「テレビ生放送で落合博満がいきなり…」40歳落合の巨人FA移籍は事件だった…ナベツネが吠えた「ウチなら5億円出す」原辰徳は不快感「筋違い」

posted2023/09/24 11:03

 
「テレビ生放送で落合博満がいきなり…」40歳落合の巨人FA移籍は事件だった…ナベツネが吠えた「ウチなら5億円出す」原辰徳は不快感「筋違い」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1993年12月、年俸約4億円の2年契約で巨人入団を発表した落合博満(当時40歳)。このFA移籍は“事件”だった

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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Sankei Shimbun

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。第4回(前編・後編)は、その巨人FA移籍という“事件”を検証する。「40歳の四番バッターに期待するなんて…」「3億円の値打ちはないよ」落合移籍を巡る狂騒。【連載第4回の前編/後編へ】

◆◆◆

ナベツネ「ウチなら5億円出す」

 1993年は、プロ野球界にとっても時代の変わり目だった。平成球界を取り巻く環境は猛スピードで変化しつつあり、読売新聞の渡邉恒雄社長は「ドラフトを廃止できずにフリーエージェント制も導入できないなら、新リーグを作ればいい。革命的なことをやる時期に来ているんだ」とマスコミの前で吠え、落合のことを聞かれると、「ウチなら5億円出す」なんて豪語してみせた。

 FA制度を巡り、93年の年明けに吉國一郎コミッショナー、セ・パ会長の三者会談で今オフ導入が確認されると、1月から3月末までの間に計22回も会議が開かれ、3月12日には読売・渡邉社長と西武・堤義明オーナーが共同戦線を張るため都内のホテルで極秘会談。資格条件を巡り、一軍出場登録日数1シーズン150日間以上を10シーズンだけでなく、1000試合出場案も議論されていたが、そうなると“FAの草刈り場”になると囁かれた西武は、オーナーが寵愛してきた8年目の清原和博も対象になってしまう。ライオンズブルーの背番号3の肖像画を自室に飾っていた堤にとって、清原だけは出したくなかった。

プロ野球界が焦っていた事情

 巨人側は選手獲得時の補償問題で、FAにより選手を失った球団がドラフト会議で2位指名に入る前に特別指名権を得る案に断固反対しており、「ドラフトを撤廃すれば、企業努力しない、つまらない球団は潰れていく。自然淘汰されていくということだよ」なんてナベツネ節がマスコミを賑わす。

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