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「25~26歳にはプレミアで」藤田譲瑠チマが語る“バランス型MFの理想”と10代で築いたベース「嘉人さんにはたくさん怒られましたけど…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/09/18 11:03
9月、U23アジア杯予選での藤田譲瑠チマ。パリ五輪切符獲得のために、さらなる成長を期待したい
縦パスの意識に加え、ヴェルディ時代に磨いたもうひとつの武器がある。
戦術眼、いわゆるサッカーIQである。
ヴェルディ、徳島ヴォルティス、横浜F・マリノス、そしてU-22日本代表と、譲瑠は適切な立ち位置をとってゲームを優位に進めるポジショナルプレーの概念に触れてきた。
現在の譲瑠は相手のライン間でパスを受けるなど、相手を見てサッカーをすることに優れているが、そのベースが築かれたのがヴェルディ時代のことだった。
「永井(秀樹)さんにはよく『三角形の中点に立て』って言われていましたね。相手のFW、ボランチ、ボランチの三角形の中央の、誰からも見られないところ。それは今も意識しているし、相手の正面に立たないようにもしています。パスが来たとき、相手が斜めから寄せてくるようにする」
山本理仁は長年の盟友で「ライバル」でもある
永井監督と吉武博文ヘッドコーチから学ぶだけでなく、個人分析官と契約を結んでサポートしてもらっていたという。
「いつ周りを見るのか、どこに立つのか。自分のプレー映像を振り返りながら月2回くらい分析をして。その人には徳島時代もお世話になって、今年に入ってからまたお願いしています。そのおかげで、少しずつ身についてきたんだと思いますね」
このヴェルディ時代にアンカーのポジションを争ったのが、ジュニアユース時代からの盟友、山本理仁だった。「ライバル」と公言する山本はすでに高校3年時からトップチームのアンカーを務めていたが、翌年、トップに昇格した譲瑠がポジションを奪い取る形となる。
譲瑠は1年で徳島ヴォルティスへと旅立ったが、年代別日本代表ではともにプレーし、今もU-22日本代表で中盤を構成している。その相棒と、期せずして同じタイミングでシント・トロイデンに加入し、再びクラブチームで同僚となったのだ。
「理仁とやるのは楽しいですけど、STVVではまだ一緒にピッチに立ってないんですよね。自分としては、早く90分戦い抜ける選手って思われないと。2試合とも、ここからっていうときに代えられているんで、早く信頼を勝ち取りたいです。理仁や(伊藤)涼太郎くんと一緒に出られれば、意思疎通もできるからテンポも上がって、いい展開ができると思うんで」
「やっぱり、優勝したいです」
もともとフィンク監督は日本人3選手を3センターで起用する4-3-3の構想を持っていたという。だが、ビザ取得や加入時期の都合で山本や譲瑠の合流が遅れたため、ベルギー人選手を中心にベースを作り、現在は3-4-3で戦っている。
そこでは伊藤とクラブのレジェンドであるピーター・デロージの息子、マティアス・デロージがダブルボランチの一番手を担っている。