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「タイガースに入団してよかった…」28歳で早逝、横田慎太郎が語っていた“阪神への感謝”、それでもアカデミーコーチ就任を固辞した理由
text by
横田慎太郎Shintaro Yokota
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/16 11:03
2019年、引退のスピーチを行う横田慎太郎さん。引退をしてからも阪神球団との交流は続いていた
父自身、引退して3、4年は「野球はもういい」と思っていたらしいのですが、その後思い直して指導員の資格をとり、2016年から鹿児島商業高校のコーチを務め、2019年12月、監督になりました。「おまえも早いうちに一応はとっといたほうがいいぞ」と言われたのです。アカデミーのコーチの話も、球団からは「2年は待ってるから」とありがたい申し出を受けています。
何をするにせよ、いまは声をかけていただいた仕事をひとつひとつ、心を込めて一生懸命やっていくこと。僕の体験を話してほしい、聞きたいという方々の要望に誠心誠意、応えていくこと。それが大事だと思っています。
母と一緒に聞いた『栄光の架橋』
引退試合が終わって、母と一緒にいったん鹿児島に帰ったとき、新幹線のなかで「入院中、苦しかったときにこの曲を聴いてたんだよ」と、イヤフォンを片耳ずつ分けあって『栄光の架橋』をふたりで聴きました。
母は涙を見せて言いました。
「もう苦しまなくていいから、ちょっと身体を休めてから自分のリズムで次の道を探そうね」
そしてこう続けました。
「中途半端でやめてしまったなら次は見えないけど、やり尽くしたのであれば、必ず次の扉が開く。次にやるべきこと、やりたいことが見えてくる。きっと周りの人も応援してくれるよ」
完治したとき、僕は何をするのだろう
再発の可能性はまったくないとは言いきれませんが、幸い、退院後半年に1回受けている定期検診では、「まったく兆候は見られない」と先生が言ってくれているし、僕自身に不安はまったくありません。いずれ視力も完全に回復すると信じています。
完治したとき、僕は何をするのだろうと、楽しみでもあります。
僕の人生は、また新たに始まったばかりなのです。
<「栄光の架橋」秘話編と合わせてお読みください>