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「タイガースに入団してよかった…」28歳で早逝、横田慎太郎が語っていた“阪神への感謝”、それでもアカデミーコーチ就任を固辞した理由
posted2023/09/16 11:03
text by
横田慎太郎Shintaro Yokota
photograph by
JIJI PRESS
9月14日に優勝を決めた阪神タイガース。歓喜の輪の中には背番号24、今年7月に亡くなった横田慎太郎元選手のユニフォームがありました――。プロ入り後に脳腫瘍の診断を受け、タイガースの選手として闘病を続けながら2019年に引退した横田慎太郎さん。引退後に綴っていた阪神球団との交流秘話を著書『奇跡のバックホーム』(幻冬舎)より抜粋してお届けします。(全3回の第3回/初回は#1へ)
アカデミーコーチの打診を固辞した理由
引退を決めたとき、阪神球団からはアカデミーのコーチをしてみないかと誘われました。これは球団が運営する、少年向けのベースボールスクールで、OBが指導にあたっています。その仕事をしないかとオファーしていただいたのです。
野球に関わる仕事ができるのはこのうえない喜びだし、声をかけていただいたことは非常にありがたく、感謝しかありません。
でも考えた末、お断りしました。もちろん、不満があったわけではありません。
それなのに、どうして断ったのか。いくら相手は子どもとはいえ、野球を教えるからには、こちらが万全の状態でなければ携わりたくなかったからです。ボールも満足に見えない状態で教えるのは無責任だし、失礼だと思ったのです。
横田にとっての「使命」
ならば、いま僕にできることは何か。しなければならないことは何か――。
「同じような状況にある人たち、病気で苦しんだり、闘っている人たちの力になることではないだろうか」
僕はそう考えました。それが、両親や阪神球団関係者、ファンをはじめとする、ずっと僕を応援し、見守ってきてくれた人たち、陰日向になって支え、励ましてくれた人たちに対する恩返しになるのではないかと思ったのです。
病気になって、よかったこともある
妙な話ですが、最近、こう考えるようになりました。