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アントニオ猪木像とベテラン石膏師の真剣勝負「耳、つぶれているんですね」…猪木番カメラマンが見届けた“219センチの守り神”完成まで
posted2023/09/12 17:37
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
石膏が剥げ落ち、徐々に猪木の顔が…
5月18日、石膏師・井野雅文さんのアトリエ。そこにはアントニオ猪木像の石膏の雌型があった。内側はすでにきれいになっている。
井野さんは「猪木」を寝かしたりしながら、内側に離型剤(石鹸水)を吹きかける。
そしてそこに、石膏に浸したスタッフ(サイザルという植物の繊維)をペタペタと貼り付けていく。これは石膏を軽く丈夫に作るためらしい。根気のいる仕事だ。
5月22日。外からは神のように見える猪木が、また「猪木」に戻るときが訪れた。
井野さんが慎重に金属のピンを立てて大きい槌で叩くと、表面の石膏が剥げ落ち、猪木の顔が徐々に現れてくる。見慣れた人にとっては当たり前の光景なのだろうが、私はまたしても不思議で感動的な瞬間を目撃することになった。
「プロレスですか? 見ていたのは力道山の時代ですね。野球も長嶋(茂雄)の時代です。それからはあまり見ていない。今のジャイアンツは面白くないから」
井野さんはそう言う。
私は昔、巨人の監督だった川上哲治さんと鮎釣りに行ったときの話などをしながら、井野さんの作業を見つめていた。
「昔の人は強いですよね。今は作家のアトリエが遠くなっちゃって。親父がいる頃は、この近くにアトリエがいっぱいあったんですよ。自転車とかリヤカーで運んでいましたから。それからオート三輪になって……」
井野さんは古き良き時代を懐かしむように話した。やはり石膏師だった井野さんの父親は、早稲田大学にある大隈重信像などを作った著名な彫刻家・朝倉文夫さんと多くの仕事をしていたという。
「若い人はやめちゃいますね。我々は年相応にやっていますよ。この先どうなるわけではないですから。現代アートがブームになりましたけれど、食える人はほんの一握り。投資家がお金は出しますけども。もう潮時かなあと思います」