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アントニオ猪木像とベテラン石膏師の真剣勝負「耳、つぶれているんですね」…猪木番カメラマンが見届けた“219センチの守り神”完成まで
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/09/12 17:37
横浜市鶴見にある總持寺に設置された「燃える闘魂 アントニオ猪木之像」。威風堂々たる佇まいは、在りし日の猪木にそっくりだ
それでも、井野さんにはこだわりがある。
「我々に大事なのは過程ですね。石膏には直付けもありますけど、日本のものの原型は木彫でした。それがヨーロッパのスタイルが入ってきてから、今のようになりました。東京芸術大学には実習で講師として30年くらい行っていました。その頃いた学生に、やっとポツポツ仕事が入ってくるようになりましたね。内容は大仏の修復とか、偏っていますけど」
授業での学習はするものの、石膏師を目指す若者はほとんどいないという。
「今、学生は興味を示さない。外に出てから必要になってくるんですが、職業として石膏師になりたいとは思わないんです。石膏師は減りますよ。先生方も石膏の所を弟子に任せてしまいますから。工務店の仕事も減っています」
「破壊と創造」を繰り返す石膏師の仕事
今回、初めて見ることになったブロンズ像を作るという工程は、「破壊と創造」を繰り返しているように私には見えた。
「できたものが、反転、反転ですから。この石膏は残るけれど、石膏には価値がないんです。シリコンで型を作る。それがあれば複製はできます。ここから型を取って作ったのがオリジナルなのかなあ。複製ができるので、ブロンズ像は人気がなくなったのかもしれませんね」
いくばくかの残念さと寂しさを漂わせたが、井野さんは真剣に「猪木」と対峙していた。
「この石膏の状況は誰も知らないんですよ。像に作者の名前は入りますけれど、石膏は入らないんです。私は親父がいたから、否応なしにそうなっちゃったんです。こんな仕事、よく何十年もやってきたなあと思います。めちゃくちゃだったけれど、昔の先生方は良かったですよ。石膏のいいところは、あとから付けたり削ったりできるところです。鋳物屋さんが切りたいところは、こっちにしたら大変なところなんです。とんがっている部分は弱いから」
アトリエが移った猪木像はまた違って見えた。それは光のせいもしれなかった。