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「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」 

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山川徹

山川徹Toru Yamakawa

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photograph byKYODO

posted2023/09/11 06:01

「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」<Number Web> photograph by KYODO

現在は仙台育英高でラグビー部の監督を務める二―ルソン。高校での外国人留学生たちの道を切り開いてきた

 1999年に仙台育英高に入学したアンダーソンはニールソンのあとを追うように、流経大に進んで、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現コベルコ神戸スティーラーズ)やクボタスピアーズ(現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)で活躍し、U-21日本代表や、将来の日本代表と目される選手が集められる日本A代表にも選出された。

 また日本代表のキャップを3つ持つカトニは埼玉工業大を卒業後、クボタスピアーズでプレーし、2018年シーズンを最後に引退した。

なぜ高校日本代表に選ばれなかったのか?

 高校日本代表は、ラグビー部員にとっては憧れの存在である。

 花園を目指すチームの選手なら誰もが一度は夢見るのではないか。ニールソンの場合は実力だけを見れば、高校日本代表入りも夢ではなかった。いまになってみれば、彼の実績や能力からして、選ばれなかった方がおかしい気もしてくる。

 実は、ニールソンを高校日本代表に、と推す関係者もいたらしい。

 だが、選考過程で「高校日本代表に外国人はふさわしくないのではないか」と反対意見があり、代表入りは見送られてしまう。

 日本ラグビー協会や関係者のなかに、前例のない留学生の選出に躊躇があったのか。あるいは、外国人留学生を使った強化への反発があったのかもしれない。

 まだまだ日本全体に外国人が少ない時代だった。外国人に対する無自覚な蔑視や、逆に過剰にもてはやすような風潮もあった。

 高校時代、ニールソンが街を歩いていたり、電車に乗ったりしていると、たびたび子どもたちに「あっ、ガイジンだ!」「うぁー、金髪だ」と指をさされた。しかも、その様子を見ている周囲の大人たちも忍び笑いをするような環境だった。

 四半世紀前の仙台、あるいは、東北の町を思い起こしたとき、容易に想像できる光景である。そもそも東北大会ではじめてニールソンを見た私たちが同じ反応をしていたのだ。私たちに悪気はなかったが、本人には相当なストレスだったのだろう。

【次ページ】 ニールソンが感じた日本社会の変化

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