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「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph byKYODO
posted2023/09/11 06:01
現在は仙台育英高でラグビー部の監督を務める二―ルソン。高校での外国人留学生たちの道を切り開いてきた
ニールソンが日本で暮らした26年間は、日本に暮らす外国人があたり前になっていくプロセスだったといえるかもしれない。それは日本のラグビー界も同じではなかったか。
1990年代前半、外国人留学生は「高校日本代表にふさわしくない」と排除された。しかし、外国人登録者数が200万人に迫ろうとする2000年代に入ると、外国人留学生はラグビーが持つ多様性や国際性の象徴となる。
ニールソンが社会の変化、そして日本人の意識の変化を実感したのは、社会人1年目の2000年である。
大学卒業後にNEC(現NECグリーンロケッツ東葛)に入った彼は、フランスで開かれるU-23W杯の日本代表に選出される。だが、結果として出場はできなかった。国際ラグビーボード(IRB/現ワールドラグビー)がニュージーランド国籍を理由に日本代表としての出場を認めなかったのだ。
代表資格の議論がされた時期だった。
きっかけは、前年の第4回W杯の日本代表である。第3回大会でニュージーランド代表として出場したジェイミー・ジョセフ(現日本代表ヘッドコーチ)とグレアム・バショップが、次の第4回大会で黒のジャージを桜のジャージに着替え、グラウンドに立った。
ジェイミー・ジョセフの「チェリーブラックス」騒動
元ニュージーランド代表の肩書きを持つ日本代表選手が、W杯の舞台に立つ。海外メディアにはなりふり構わぬ補強に見えたに違いない。日本代表の愛称チェリーブロッサムをもじって「チェリーブラックス」と批判をくり返した。
チェリーブラックス騒動をきっかけに、代表資格に「ひとりの選手は1カ国の代表にしかなれない」と新しい条件が加わった。その影響もあったのだろう。このU-23W杯フランス大会では、若い世代は国籍で、と方針が示された。
「もちろん出たかったけど、ルールはルールだからしかたない。でも、高校日本代表はダメといった日本協会が、この大会ではIRBに抗議して守ってくれた。その変化がぼくにとって面白かった」
ニールソンは思った。留学生に対する考え方、見方が変わり、受け入れてくれるようになったのか、と。
それが、来日から8年目に実感した日本の変化だった。
<「隣国からの代表選手」編へ続く>