Number ExBACK NUMBER
「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph byKYODO
posted2023/09/11 06:01
現在は仙台育英高でラグビー部の監督を務める二―ルソン。高校での外国人留学生たちの道を切り開いてきた
「ガイジンってスラングで、正式には外国人でしょう。ガイジンと呼ばれるのは、とてもイヤだったけど、ガマンするしかなかった。そのころ仙台には、育英の留学生以外、外国人はほとんどいなかったから珍しかったんだろうけど……。息苦しさがありました。満員電車なのに、ぼくの隣の席だけずっと空いているとか。ずいぶんましになりましたけど、仙台にはまだそういう雰囲気は残っているかな。東京ではもう感じなくなりましたが」
試合中も「大したことねえ、ガイジンだな」「ガイジン、帰れ!」と心ないヤジを飛ばされた経験もある。
「街中では何もできませんが、試合中はね……」とニールソンはニヤリと不敵に笑う。
そういえば、佐藤がこんな思い出を語っていた。
「ブリは、ガイジンと言われるのをイヤがっていましたね。『ガイジンじゃねえし、人間だし』と。敵チームに『ガイジン、ガイジン』とうるさい選手がいたら、『ガイジンじゃねぇ』とがっつりタックルに入って黙らせていましたよ」
ニールソンが感じた日本社会の変化
ノフォムリとホポイが来日した1980年。国内の外国人登録者数は約78万人だった。100万人をこえたのはその10年後の1990年。ニールソンが仙台で暮らしはじめた1993年には国内の外国人登録者は約132万人となる。それでも2018年6月末の時点で在留外国人数は約263万人だから、現在の約半数に過ぎない。
しかもニールソンが高校を卒業した1995年度の段階で、宮城県に暮らす外国人は1万人に満たなかった。私は高校卒業後、仙台の東北学院大学に進学したのだが、街中を歩いていても、外国人を目にする機会はまれだった。
日本で暮らす外国人がこれだけ増えたいま、あからさまに街中で「ガイジンだ」と指をさして揶揄する人や、試合中に「ガイジン、帰れ」と挑発する選手がいるとは思えない。それは、隣に外国人がいる環境が珍しくなくなったからだ。
端的に言えば、慣れ、である。