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来日理由はラグビーではなくまさかの…? W杯で活躍する「海外出身日本代表選手」第1号の“超意外な経歴” 「白米に牛乳をかけて食べていた」
posted2023/09/11 06:00
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph by
AFLO
フランスW杯が開幕し、初戦のチリ戦を快勝したラグビー日本代表チーム。試合で重要な役割を果たしたのが「海外出身の日本代表選手」たちだ。日本代表における「海外出身選手」の歴史を辿ると、その第1号はトンガ出身のノフォムリ・タウモエフォラウに行きつく。なぜ、彼は縁もゆかりもない異国の地で、“桜のジャージ”を着ることになったのか――。その経緯を『国境を越えたスクラム』(中央公論新社、2023年8月文庫版発行)から抜粋して紹介する(全3回の1回目/#2、#3へ続く)
ノフォムリがはじめてトンガ代表に選出された1975年。前年に関東大学リーグ戦で初優勝を果たした大東大ラグビー部は、ニュージーランドにはじめて遠征する。当時、部長だった中野敏雄は、遠征の途中、トンガに足を延ばした。機内で隣り合わせたトンガの文部次官は中野にこんな話をした。
「国王が日本びいきで、宮廷で相撲やソロバンの大会を開くんだ」
中野が商業簿記の専門家で、ソロバンの指導者であると知った文部次官はとても喜んだ。国王のタウファアハウ・トゥポウ四世は、日本の経済成長に関心を抱いていたらしい。
中野がトンガのホテルにチェックインすると、さっそく王宮からのクルマが迎えにきて、国王に謁見する。
「私もトンガの子どもたちに直接、ソロバンを教えているのだがうまくいかない」と話す国王に対し、中野は「では、私が教えましょう」と約束する。こうしてトンガ珠算教育協会名誉副会長に就任した中野とトンガの交流がはじまった。
「ソロバン指導者育成のため」の留学
やがて、ソロバン指導者育成のためにトンガ人青年を日本に留学させる計画が持ち上がった。中野は、まったく異なる環境で暮らすトンガ人青年のホームシックを危惧して、こんな提案をする。
「若者がソロバンと勉強漬けの生活ではストレスがたまるだろうから、ラグビーもさせたらどうでしょう」
トンガ初の“ソロバン留学生”として白羽の矢が立ったのが、トンガ代表として活躍していた23歳のノフォムリと、彼の1歳年下でのちに日本代表にも選ばれるホポイ・タイオネだった。