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甲子園の風BACK NUMBER
「抵抗する者はバリカンで」「長髪要求で高校生が窓ガラスを…」なぜ高校野球は取り残されたのか? 50年前、“ある24歳監督”が訴えていた
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/08/29 11:02
なぜ、“坊主・非坊主論議”は遅れたのか。戦後の高校野球と髪型の歴史を追った(写真はイメージ)
45年前の「アンケート結果」
昭和の高校野球では、非合理が当たり前のように罷り通っていた。一方、球児が丸刈りを受け入れていたデータもある。78(昭和53)年、朝日新聞が「長髪に賛成か不賛成か」という選手1869人へのアンケート結果を発表している。
【賛成:109人 不賛成:1601人 わからない:148人 無効11人】
一般的な高校生の頭髪の自由化が進み、地方大会でも長髪が現れていたが、賛成は5.8%しかいなかった。ただ、選手1869人の高校名や都道府県など属性の記述がない。この記事は『白球とともに 高校野球の現代像』という連載の4回目だった。他の回を見ても、強豪校のコメントが毎回のように出てくるため、アンケートは甲子園に出場できそうな高校に偏っていた可能性はある。回答の理由は以下になる。
【賛成】
63人:長髪でもプレーに関係ない
32人:野球部だけが丸坊主の必要なし
1人:長髪の方がかっこいいから
1人:女生徒にもてるから
12人:その他(無回答含む)
【不賛成】
1067人:丸坊主の方が清潔だから
184人:野球部の伝統だから
89人:なんとなく
52人:丸坊主の方がかっこいいから
209人:その他(無回答含む)
※1978年1月8日/朝日新聞
高校生らしい=従順な姿?
清潔か否かは洗髪によって決まるはずで、「丸坊主の方が清潔」とは限らない。「野球部の伝統だから」「なんとなく」というように、球児もよくわからないまま、丸刈りを受け入れていた。なぜ、このような状態に陥っていたのか。『日本人の行動様式 他律と集団の論理』という当時のベストセラーにヒントがある。
〈他律的人間の集団は律するものを予想し、要求する集団である。このような集団は律するものが権威を持ち、その統御力を十分に発揮する場合には、自律的人間の集団よりは、はるかに効率のよい爆発的エネルギーをもって同一方向に動いてゆく〉(73年5月発行/荒木博之著/講談社現代新書)
監督は集団を律するために“全員丸刈り”という手段を用い、まだ10代で他律的な球児たちが指示に追従していたのではないか。従順な姿は“高校生らしい”という言葉に置き換えられ、同じ髪型に揃えて“一致団結”すれば強くなると信じられていた。
しかし、「坊主頭でチームの意思を統一する」という抑圧的な慣習は、2つの外圧によって破壊されていく――。〈「海外で丸刈り球児の“集団”がヤクザと間違えられた事件」編へつづく〉
※1 2015年11月11日/朝日新聞、17年5月28日/日刊スポーツ 一連の湘南選手の長髪維持過程
※2 70年7月31日/読売新聞・都民面
※3 75年7月17日/読売新聞・都民面
※4 76年7月25日/読売新聞・都民面
※5 84年7月5日/朝日新聞 一連の監督発言