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「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/08/24 11:01

「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

村上宗隆の原点は、高校時代の鍛錬にある

 '16年夏は2対13、'16年秋も0対1で敗れ、秀岳館相手に九州学院は打てずに負けていた。村上が自分のバットで勝ちたいと願うのは、主将らしい責任感だった。村上は3人兄弟の次男。坂井も「家では次男やけど、チームでは長男にならないかん」とリーダーへ成長することを求めたし、試合中も自分の横に座らせ、厳しい言葉をかけ続けた。それは村上の成長を思ってのことだったが、それが重圧につながったのではないか? この試合だけは、「仲間を信じて、普通に打ってこい」と言ってやるべきだった。そうすれば、違った結果が出ていたかもしれない――。

監督の前で見せた悔し涙

 そんなことを思い浮かべていると、村上の顔が突然歪み、涙がこぼれはじめた。それはとどまるところを知らず、ようやく村上が声を絞り出した。

「先生ばもう一回、もう一回、甲子園に連れて行きたかったです。それが出来んで、本当に申し訳なかったです」

 さすがに坂井の胸も熱くなっていた。ただ、村上にはここで立ち止まって欲しくなかった。より高みを目指して欲しかった。

「ムネ、ありがとう。その気持ちがうれしか。ばってん、ムネの野球人生はこれからが始まりたい。もう、明日から切り替えて次の舞台ば目指すぞ。お前なら、もっともっと上ば目指せるけん。な、ムネ」

 その言葉に、また涙がこぼれる。それでも村上は監督と語り合ってようやく気持ちが落ちついた様子だった。どれくらいの時間が過ぎたのだろうか、そろそろ帰る時間が近づいてきていた。

「ムネ、気いつけて、帰れよ」

 監督に一礼すると、村上は家族の待つ家へと自転車を漕ぎながら帰っていった。

後輩に慕われた「ムネさん」

 甲子園行きがなくなり、新チームが結成された。キャプテンには田尻が就いた。朝練習も再開されたが、どういうわけか、村上の姿があった。これまで、九州学院の野球部では3年生が引退後、朝練習に姿を見せることはなかった。しかし、村上は毎日、後輩たちとの練習を欠かさなかった。

「ムネさん」はグラウンドでは厳しかったが、後輩の面倒見が良かった。スターバックスでご馳走してもらい、いろいろ話したり、ボウリングに行ったことも懐しい。

 その村上がドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに指名されたのは、3カ月後のことだった。

 これが村上宗隆、17歳の夏、熊本での出来事である。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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