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「6試合783球」を投げ抜いた島袋洋奨と「229球目に押し出し」の宮城大弥…興南高校“琉球サウスポーが繋ぐもの”
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2023/08/12 17:00
「あの夏」の絆を紡ぐ島袋洋奨(左)と宮城大弥
「ウチには左しか寄ってこない(笑)」
監督になって7度目の夏の甲子園、右のエースは初めてだという話を我喜屋にぶつけてみた。すると我喜屋はこう言った。
「そりゃ、洋奨と宮城のせいだろ(笑)。ウチには左しか寄ってこないんだもん。でも僕が昔の人間だからさ、大黒柱は右のイメージがあるんだよ。まぁ、右でも左でもどっしり構えるのがエースだからさ。1番というのはピッチャーの勲章だし、やる気も責任感も出てくるはず。生盛のあの3者三振には鬼の目にも涙があったよ……よくここまで成長してくれたって。代わるかと聞いたけど本人が大丈夫っスよという顔をしていたからね。根性だけでそう言う子と本当に大丈夫だと言う子、表情でわかるんですよ。
大変なところを乗り越えてこそ成長するのに、乗り切る前に代えたらピッチャーの心意気に反するよ。ああいうところを乗り切る力には裏があるってことをわかってほしい。ちゃんとした根っこ作りをしてきたからこそできるのであって、根性だけでは乗り越えられない。生盛には伝統ある興南の1番というプライドを持って、これまでのいろんな悔しさをマグマに変えて、甲子園で爆発させて欲しいよね」
沖縄が本土復帰を果たす前の1968年、夏の第50回大会でベスト4へ勝ち進んで『興南旋風』を巻き起こしたときの主将が、我喜屋だった。監督としては島袋を擁して春夏連覇を叶え、宮城とともに夏の第100回大会で甲子園出場を果たした。そして本土復帰から50年の今年、我喜屋はエース生盛とともに夏の甲子園を戦う。
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