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[かりゆしの球音]興南高校 島袋洋奨/宮城大弥「琉球サウスポーが繋ぐもの」

2022/08/04
しまんちゅにとって高校野球は特別なものだ。あの夏、沖縄が熱狂した歓喜の頂点。英雄に憧れその背中を追う者たちもまた、熱き物語を紡ぐ。「興南のエース」の誇り、背番号1に宿る魂とは。

 春夏連覇から12年――。

 那覇の住宅地にある興南高校のグラウンドには、レフトからセンターへと観客席のように横たわる石段がある。その最上段にはガジュマルの木が並んでいた。生い茂った葉は12年前と変わらず、沖縄の厳しい陽射しを遮ってくれている。興南野球の歩みは、このガジュマルの木が見守ってきた。

 島袋洋奨は今年、30歳になる。

 初めて会ったのは彼が高校2年の夏だから、もう13年も前のことだ。「ちくわとマヨネーズが苦手」だと話した16歳の少年はその後、甲子園で興南のエースとして春夏連覇を成し遂げ、中央大学からホークスへと進んだ。5年でプロ生活を終え、母校に戻ってきたのが一昨年の春のことだ。現在は入試広報部の職員として、野球部の副部長として、さらにはコーチとして、高校生と向き合っている。自宅に戻れば通信教育で教員免許の取得を目指す、2児の父だ。

「いろいろ変わりましたよ。僕らが春夏連覇した後、バックネットを高くして、この石段もごっそり削ってグラウンドを広くしたそうです。そういうところを見ると昔とは変わったなぁと思いますね。ただグラウンドでのピリピリした緊張感は選手のときと変わりません。えっ、ちくわとマヨネーズですか? それは今も無理です(笑)」

 現在の興南の選手たちにとって、12年前の春夏連覇の記憶は朧気だ。何しろ彼らは当時、まだ小学校にも入学していない。“琉球トルネード”と呼ばれた島袋の美しいピッチングフォームはYouTubeで見て、春のセンバツで689球、夏の甲子園では783球を投げ抜いた伝説は親から伝え聞く。そんな沖縄のレジェンドは今、こんな想いで選手と対峙している。

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photograph by Atsushi Hashimoto

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