甲子園の風BACK NUMBER
島袋洋奨、母校・興南で新たな人生。
自分の経験を子供たちのヒントに。
posted2020/06/05 19:00
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Hideki Sugiyama
「自分の中では野球をやりきった。だからスッキリ辞められました」
甲子園を熱狂させた沖縄のヒーローは、静かにユニホームを脱いだ。昨年の10月1日、福岡ソフトバンクホークスは育成契約中の島袋洋奨に戦力外通告を言い渡した。
興南高校時代は独特のトルネード投法から投じる150キロ近い速球で打者をねじ伏せ、春夏連覇の偉業を達成している。甲子園での勝利数は松坂大輔に並ぶ「11」。完投も「10」を数えるなど、ほぼひとりで大会を投げ抜いた。通算防御率1.63、奪った三振は130にも上る。記憶だけでなく、記録の上でも甲子園の申し子と呼ぶに相応しい活躍をみせ、沖縄に初の深紅の大優勝旗を持ち帰った。
プロ志望届を出さずに進学した中央大学では、故障に悩まされた。イップスも発症し、思うような投球ができない日々が続く。2014年にホークスから指名を受けるも、一軍での登板数はわずかに2。甲子園を沸かせた琉球トルネードは、プロで花開くことはなかった。
「プロで思うような投球が出来なかったことは事実です。自分の頭のイメージと体の動きがリンクしなくて、常にもどかしさもあった。ただ、ホークスの投手陣はレベルも意識も高く、単純に自分の実力が足りなかった面もある。本当は2018年シーズン終了後にクビかと思っていましたが、去年もホークスでやれた。球団には感謝しかないです。あの競争率が高い環境で野球をできたことは、この先の人生でも必ず活きてくると思っています」
この春、母校に復帰。将来は教員に。
4月1日。島袋が第二の人生で選んだのは、母校・興南高校へ戻るという道だった。現在の肩書きは入試広報部の事務職員。教員免許取得を目指し通信教育を受けつつも、学生野球資格回復後は、興南で指導者として歩み始めることも視野に入れている。
「新型コロナウイルスの影響で、戻ってきても生徒に会う機会がなかったんですね。学校が再開してからは学生時代を思い返すこともあり、懐かしさをしみじみ感じています。今でも、あの夏の試合を動画などで観る機会があるんですが、めちゃくちゃ打ってるな、と(笑)。甲子園で春夏連覇できたのは、僕の力というよりはチームに助けられた面が大きいですから」
沖縄勢初の夏の日本一への道程――。島袋にあの夏の記憶を辿ってもらった。