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負けたらブームが終わる…なでしこジャパンが背負った“世界一の重圧”とは? 宮間あやが明かした本音「恐怖ですね。銀座のパレードの時だって…」
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byGetty Images
posted2023/08/05 11:02
2011年W杯決勝では澤穂希の同点ゴールをアシストした宮間あや。W杯優勝後という難しい時期に主将を務めた
一つだけ、宮間が過去に疑問符をつける瞬間があった。
「もう少し女子サッカーを広めるためにも、世間の注目にもっと敏感にならないといけなかったのかもしれないですね。五輪競技や男子サッカーを見ていると、日本は個人が注目されることが多い。日本で市民権を得るには、個人がもっと注目されないといけないのかもしれないですね。でも、優勝してメダルを獲ったあの時期も、先輩たちから受け継がれている日本女子代表の年表に乗っかっている一時期に過ぎない。その以前があって、今もある。誰かのものではなくて、関わった人たち全員のなでしこジャパンでなければいけない。
どんな時も、澤さんからキャプテンを受け継いだ時も、いつだって私はやることを変わらずやってきた。他の競技が選手個人名で取り上げられる中、何より私たちは“なでしこジャパン”として取り上げられてきた。私にとって、それは永遠に失うことのない誇りなんです」
「たぶん死ぬまでサッカー選手」
宮間は今、子どもたちとボールを蹴っている。不定期だが、サッカースクールに参加し、笑顔で未来のなでしこたちに接する。中には、彼女を知らない小さな子もいるという。
「もう、『あのおばさん、誰?』とか言われるんですよ。でも、私はそこにすごく意味があると思っていて。『私たち、世界一になったことがあるんだよ』みたいな話からスタートして、この先もなでしこジャパンが続いていくということを伝えたい。今は“プロ”ではないですけど、たぶん死ぬまでサッカー選手では居続けると思うんです。サッカー始めた時から、私はずっとサッカー選手です」
時代は移ろい、今も若き選手たちがなでしこの一員として勝利を目指す。説教じみたことを言うつもりはないだろう。
でも彼女たちは、一つだけ託したい。
「絆。集団で戦うこと」――
それが、日本女子サッカーの武器になることを。いつの時代も、なでしこを支える原動力であることを。
◆初出:Sports Graphic Number 968・969号(2018年12月20日発売)『宮間あやが語る「なでしこ世界一」』
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。