熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「すぐジーコから電話が」「オノの華麗なパス、ナカタの個性は…」“鹿島移籍の真相”と代理人業をビスマルク53歳にブラジルで聞いてみた
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2023/07/02 11:02
現在は代理人となっているビスマルク。日本のフットボールについての印象を聞いてみると…
「クラブに恵まれた。ヴェルディもアントラーズも組織がしっかりしており、有能なフロントとスタッフがいて、高校や大学から優れた選手をスカウトすると同時に、クラブのアカデミーで優秀な選手を育成していた。とりわけアントラーズは、ジーコが叩き込んだプロ意識がクラブに浸透しており、それが大きな力となっていた。
僕自身は、外国人選手ではあっても日本の文化を尊重し、クラブの方針に従って自分に期待される役割をしっかり果たそうとベストを尽くした。そのことが、チームの成績、そしてタイトルにつながったと思う」
――日本で特に印象に残った選手は?
「外国人では、ジーコ、レオナルド(いずれも鹿島)、ストイコビッチ(名古屋グランパス)らが華麗なプレーで観衆を魅了していた。日本人ではカズの美しいドリブルとスター性、ナカヤマ(中山雅史)の闘志と決定力、オノ(小野伸二)の素晴らしいテクニックと華麗なパス、ナカタ(中田英寿)の個性が強く印象に残る。
ナカタは、優れた技術と斬新なアイディアが際立っていた。日本特有のセンパイ、コウハイのヒエラルキーを気にしておらず、常に自分の考えを主張していた。プレーも人間性も、他の日本人選手とは全く違っていた。彼がイタリア・セリエAで堂々とプレーして結果を出したことが、その後、日本人選手が欧州で高く評価される素地になったのだと思う」
――ディフェンスの選手では?
「イハラ(井原正巳。当時横浜F・マリノス)とアキタ(秋田豊。当時鹿島)。イハラはクレバーで、激しく当たってくるけれどフェアな選手だった。アキタは、空中戦に圧倒的に強く、凄まじい闘志の持ち主だった」
――神戸でのプレーを最後に、2003年末、34歳で現役を引退しました。引退後は何をするか、以前から考えていたのでしょうか?
「選手時代、僕は代理人がおらず、自分のキャリアを切り開くためにかなりの苦労を強いられた。だから、現役時代から、将来はそんな選手の手助けをしたいと考えていた。
引退後、すぐにブラジル有数の代理人と共同で事務所を設立し、数十人の選手と契約して、欧州、東アジア、中東など10カ国以上に選手を送り出している。Jリーグのクラブへも、これまでに多くのブラジル人選手を送り込んでいる。今後は、日本人選手が海外のクラブへ移籍する手伝いを積極的にやりたい」
ビスマルクが見る“今の日本人選手ガチ評価”は?
――率直なところ、外国のクラブやフットボール関係者は日本人選手をどう評価しているのでしょうか?