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「すぐジーコから電話が」「オノの華麗なパス、ナカタの個性は…」“鹿島移籍の真相”と代理人業をビスマルク53歳にブラジルで聞いてみた
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2023/07/02 11:02
現在は代理人となっているビスマルク。日本のフットボールについての印象を聞いてみると…
「アントラーズにはすでにチームとしてのベースがあったから、僕は自分の持ち味を発揮することだけを考えていればよかった」
2000年の三冠はチームのまとまりと個人能力が融合した
――鹿島では、MF小笠原満男、MF本山雅志、ボランチの中田浩二、CB秋田豊らと共にプレーし、1997年にナビスコカップと天皇杯を、1998年にJリーグを制覇し、2000年にはJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の三冠を達成。これは史上初の偉業でした。2001年にもJリーグで優勝し、在籍5シーズンで7つものタイトルを獲得しました。
「監督の多くがブラジル人、という一貫性があり、チームとしてのまとまりに個人能力を融合したプレースタイルを確立していた。テクニカルにプレーしながらも、勝負にこだわり、泥臭い勝利を積み重ねていった」
――あなたは、2001年末に鹿島を退団し、母国へ戻ります。
「2002年はフルミネンセ(注:リオの4大クラブの一つ)とゴイアス(注:中堅クラブ)でプレーした」
――そして、2003年後半、ヴィッセル神戸に加わります。入団した経緯は?
「かつてヴェルディのフィジカルコーチをしていたルイス・フラビオが当時、ヴィッセルで働いており、『チームの状態が良くない。1部に残留するために力を貸してくれ』と頼まれたんだ」
――この年、神戸はファーストステージで16チーム中13位、セカンドステージは第5節を終えた時点で1分4敗の最下位でした。当時のチーム状況をどう見ましたか?
「攻撃陣にはカズ(三浦知良)、オゼアスら、守備陣にはシジクレイら優れた選手がおり、本来ならそんな位置にいるチームではなかった。選手たちは良い結果が出ないためプレッシャーを感じており、チームとしてのバランスが崩れていた。勝つことによってそのような状況を一変させようと、一生懸命にプレーした」
――あなたの加入後、神戸は10試合で3勝4分3敗。セカンドステージの順位を13位まで上げ、年間成績も13位として降格を免れます。
「完璧ではなかったが、最低限のことはできたと思う」
オノ、ナカタのプレーも印象に残っている
――神戸時代を含め、計9年間、Jリーグでプレーして12ものタイトルを獲得しました。優勝請負人とも呼べる存在で、こんな選手はなかなかいません。なぜこれほどの活躍ができたのでしょうか?