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「すぐジーコから電話が」「オノの華麗なパス、ナカタの個性は…」“鹿島移籍の真相”と代理人業をビスマルク53歳にブラジルで聞いてみた

posted2023/07/02 11:02

 
「すぐジーコから電話が」「オノの華麗なパス、ナカタの個性は…」“鹿島移籍の真相”と代理人業をビスマルク53歳にブラジルで聞いてみた<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

現在は代理人となっているビスマルク。日本のフットボールについての印象を聞いてみると…

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Hiroaki Sawada

Jリーグ創成期の名ブラジル人ビスマルクに、誰もがマネした「お祈りポーズ」誕生秘話やブラジル代表で日本代表と対戦した頃の記憶などを幅広く聞いた。(全3回/#1#2につづく)

 Jリーグを代表する攻撃的MFビスマルクは、1993年後半から1996年末まで在籍したヴェルディ川崎との契約を更新せず、当時、ヴェルディの最大のライバルだった鹿島アントラーズへ入団。Jリーグ関係者、メディア、ファンに衝撃を与えた。

すぐにジーコから電話がかかってきて…

――鹿島へ入団した経緯は?

「ヴェルディ退団を決意した頃、アントラーズでプレーしていたジョルジーニョから電話があった。彼とはブラジル代表でチームメイトで、以前から僕のことを高く評価してくれていた。

『ヴェルディを退団するらしいな』と聞くので『そのつもりだ』と答えたところ、『アントラーズと話をする気はないか』。『いいよ』と答えたら、すぐにジーコから電話がかかってきて、『うちで一緒にやろう』と言われた。彼は、僕の子供の頃からの憧れの存在だ。断わるはずがない」

――鹿島に入って感じたことは?

「外部から見てもある程度、想像がついていたが、ジーコがプロ選手としてあるべき姿を選手たちに厳しく教え込んでいた。いわゆる『ジーコ・スピリット』だね。

『献身、誠実、尊重』がモットーで、ファミリーであるチームのためにハードワークし、忠誠を誓う。そして、常にクラブを、チームメイトを、さらには対戦相手をリスペクトする……。このような姿勢がクラブとして、チームとしてのまとまりを生み、苦しい試合でも最後にはアントラーズが勝つ、という伝統を作り出していた。また、鹿島は東京や大阪のような大都会とは違って小さな町で、選手たちはフットボールに集中できる環境にあった」

ホンダとは本当に仲良くなったんだ

――鹿島で仲良くなった選手は?

「ブラジル人選手、日本人選手、誰とでも仲良くなったけれど、一番の友人はホンダ(本田泰人)。ヴェルディ時代、対戦するといつも僕に付きまとって執拗にマークをするので、非常に嫌な選手だった。その一方で、激しく守備をしながらも決して暴力的なプレーをしないフェアな男で、その点は大したものだと思っていた。

 彼とチームメイトになれて嬉しかったし、それは彼も同じだったらしい。アントラーズ入団後、初めて練習場で会ったとき、固く抱き合った。チームリーダーの彼が人懐っこい笑顔で迎え入れてくれ、僕はすぐにチームに溶け込むことができた」

――それまでライバルクラブで激しく鎬を削っていたJリーグ有数の攻撃的MFとボランチが合体して、アントラーズは強さに磨きがかかりました。

【次ページ】 2000年の三冠はチームのまとまりと個人能力が融合した

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