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「三笘警察のみなさん、すみません…」日本代表三笘薫26歳の“ナゾの聖地”駅…西鉄の三苫駅には何がある?「思わぬ絶景にビックリした話」 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byGetty Images/Masashi Soiri

posted2023/06/18 17:02

「三笘警察のみなさん、すみません…」日本代表三笘薫26歳の“ナゾの聖地”駅…西鉄の三苫駅には何がある?「思わぬ絶景にビックリした話」<Number Web> photograph by Getty Images/Masashi Soiri

三笘薫選手と三苫駅。漢字が違うことは承知のうえで、西鉄貝塚線の三苫駅を訪れてみた

 高い崖上から見下ろす明媚な海岸線と玄界灘は、なかなかに息を呑むほど美しい。崖下は海水浴場にもなっていて、地元の人たちはここで夏の楽しみを得るのだろう。いやはや、三苫という町、かなり強引な理由でやってきて、特にあてもなかったが、これだけの絶景を見られるならば来た甲斐があるというものだ。

最後に…なぜ“三苫”という名前になったのか?

 海沿いの松林の外れには、綿津見神社という立派なお社もあった。三苫の町は、この神社の門前町のようにして生まれたのがはじまりなのだろう。さらにもう少し歴史を調べてみると、もともとこのあたりは香椎宮の神領だったという。もはや神話の世界の話だが、神功皇后西進の折に対馬沖で暴風雨に遭った。荒れる海が静まるように、苫を海に投じて漂着した場所に社を建ててお祀りすることを誓ったのだとか。その苫が三枚流れ着いた地が、いまの三苫の海岸だったというわけだ。

 このあたりはさすがに事実かどうかはわからない言い伝えだが、実際にいまの美和台の住宅地のあたりには縄文時代から弥生時代にかけての集落の遺跡や、古墳時代の墳墓の遺跡があった。玄界灘の先には朝鮮半島もあり、大陸への距離の近さから古くからこのあたりで暮らしていた人がいたことは想像に難くない。美和台一帯は古くは高台集落で、海沿いにも三苫の集落が築かれた。香椎宮の宮司家の名字は三苫という。三苫一帯を領有していたことが、その名のはじまりなのかもしれない。などといっても、もちろん三笘選手とは関わりのないお話である。 

 こうして三苫駅の周辺を、たっぷり休憩しながらおおよそ2時間ほど歩いた。駅のすぐ北側には、福岡市と新宮町の境界がある。つまり、三苫の町は福岡市のいちばん北のはじっこでもある。もちろん、2時間歩いたところで三笘選手に関係する何かはまったく見当たらなかった。なお、駅にも三笘選手のファンらしき人は、ひとりとて居なかったことをお伝えしておきます。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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