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「三笘警察のみなさん、すみません…」日本代表三笘薫26歳の“ナゾの聖地”駅…西鉄の三苫駅には何がある?「思わぬ絶景にビックリした話」 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byGetty Images/Masashi Soiri

posted2023/06/18 17:02

「三笘警察のみなさん、すみません…」日本代表三笘薫26歳の“ナゾの聖地”駅…西鉄の三苫駅には何がある?「思わぬ絶景にビックリした話」<Number Web> photograph by Getty Images/Masashi Soiri

三笘薫選手と三苫駅。漢字が違うことは承知のうえで、西鉄貝塚線の三苫駅を訪れてみた

 ちなみに、西鉄貝塚線はこの三苫に限らず、沿線はほとんどが住宅地だ。西鉄香椎駅の周囲にはタワーマンションも建ち並ぶ。そうした事情がゆえか、首都圏や京阪神の通勤客が激減したコロナ禍では、西鉄貝塚線は国内で2番目に混んでいる鉄道路線になっていた(ちなみに1位は東京の日暮里・舎人ライナー)。福岡では欠くことのできない通勤路線なのだ。

 そして三苫駅の駅前に広がる住宅地も、西鉄貝塚線にお客を供給しているということになる。ところどころに大きな池や公園はあるが、やはり住宅地。地名でいうなら「美和台」らしい。散歩しているお年寄りがいれば、ベビーカーを押して歩く若いお母さん。こちらは余所からやってきた完全なる外来種なので、いつまでもうろうろしていたら不審者として通報されても文句の言えない空間である。

“もうひとつの”三苫の町があった

 そういうわけで、三苫駅前の美和台歩きはほどほどにして、駅前に戻る。いまさらながら、美和台の新興住宅地は三苫駅の東側。ホームは駅前から階段を降りた先にある。そして駅の西側にはホームと同じ水準の出入り口が設けられている。つまりどういうことかというと、美和台の住宅地は高台の上にあって、その崖下の際に線路が敷かれてホームがあり、さらに西側の低地にももうひとつの三苫の町が広がっているのだ。

 ここで古い地図を見る。すると、戦後の1970年前後まで、三苫駅の周囲に見られる集落は駅の西側、つまり低地側にごくわずかにある程度だったということがわかった。逆にいまは住宅地になっている高台側は、ほとんどが何もないただの丘陵地。当たり前といえば当たり前だが、美和台の住宅地は1970年前後に丘陵地を切り開いて設けられたものだった。三苫という町のそもそものはじまりは、三苫駅より西側の、玄界灘に近い海沿いの小集落にあった。

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