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[ミスター・ダービー、歴史を語る]武豊「その蹄跡は、時代を映す」
posted2023/05/18 09:01
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Ai Hirano
「ダービーの最古の記憶といえば、父が騎乗して勝ったロングエースのダービー(第39回。'72年7月9日)ですね。ボクはまだ3歳でしたから、レース内容を理解した気になっているのはずっとあとになって何回もビデオを見たからでしょう。でも、家のテレビの前で家族みんなで応援した場面は鮮やかな記憶として残っています。当時は栗東トレセンの倉見門から入ってすぐの“ロ─1”にあった武田作十郎厩舎に住んでいて、家の前にライラックの木がありました。この年は馬インフルエンザの流行の影響で、クラシックの日程が延びに延びてダービーが七夕の週でしたから。木の枝に吊るした短冊に、ボクが『パパがダービー勝ちますように』と書いたという話も残っています。でも、本当のところはどうでしょうか。まだ字もろくに書けなかったはずで、そこは鉛筆を持った手を母親に操縦されたんだろうと想像しています」
「ダービーはホースマンにとって本当に特別な存在」と、この話題が上がるたびにそう答える武豊は、「あのときの家族の喜びようを見て、刷り込まれたものなのかもしれませんね」と、3歳の記憶を懐かしむのだ。
騎手になろうと考えたのはいつ頃? という質問に対して、「それ以外を考えたことがないですから」と答えた武は、6歳で見たカブラヤオー('75年)を「逃げて勝つなんて本当にすごいと思った」、7歳で目撃したクライムカイザー('76年)を「父が乗っていたテンポイントや、あの強いトウショウボーイを負かすなんてと驚きました」と、当時の感想をスラスラと口に出した。4歳のときのタケホープ('73年)についても確認すると、「ハイセイコーが負けたレース。そのへんはうっすらの記憶かな」と首をひねりながらだったが、5歳でのコーネルランサー('74年)については「父がキタノカチドキに騎乗して3着に負けたダービー」と、強めの記憶を表現した。つまりはロングエース以降のダービーは、全て武豊の記憶として刻まれているのだ。武が騎手になろうと思った瞬間をあえて限定するなら、武邦彦のロングエースがダービーのゴールを刻んだそのときだったろう。