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5年前、藤井聡太の台頭に渡辺明は「上の世代が粘らないと面白くならない」…名人戦取材記者が“あの日の言葉”を思い出した浮月楼の夜
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byNumber Web
posted2023/05/02 17:03
藤井聡太竜王が2連勝を飾った第81期名人戦七番勝負。「上の世代が粘らないと面白くならない」と語っていた渡辺明名人の逆襲はあるのか
夕食休憩が終わると、少しずつ混み合い始めた報道陣の待機場所もいよいよ慌ただしくなってきた。
激しい中盤戦を経て、いよいよ終盤戦に突入していく。一進一退の攻防が続く中、ついに藤井竜王が一歩前に出る。渡辺名人の打った△2四香を受けずに、▲6三香成、さらに▲2六桂と攻め合いを決断したのだ。
名人からすると、△2四香を守らせることで主導権を握るはずが、竜王がより強烈なパンチを放ってきたのである。特に▲6三香成は重いボディブローになった。「△2四香が先手になっていなかったのが誤算だった」と渡辺名人は悔やんでいる。
70手目の△2五金に対して、藤井竜王が▲1四桂の王手。そして渡辺名人が△3三玉と交わした瞬間、AIの評価値が大きく藤井竜王に傾く。結果的に、このせめぎ合いが勝負の分かれ目だった。
この時点で、時刻は19時に差し掛かろうとしていた。勝機を見出した藤井竜王の寄せは鋭かった。約1時間後の19時51分、渡辺名人が投了を告げた。
藤井竜王も楽しそうに…“穏やかな時間”だった感想戦
終局後のインタビューを終えた後、感想戦が始まった。
9時間の持ち時間を使って頭の中で見ていた選択肢を、両者が活発にぶつけ合っていく。いつも通りハキハキと指し手を検証する渡辺名人に対し、藤井竜王も終局直後のインタビューよりもずっと滑らかに、そして何より楽しそうに話す。
感想戦は1時間ほど続いた。時折、立会人の青野照市九段や副立会人の佐々木勇気八段も加わって別手順の見解を示すが、基本的には2人だけの世界がそこにはある。対局場には、どこか穏やかな時間が流れていた。
感想戦が終わり、渡辺名人の丁寧な所作によって、躍動していた駒たちが駒箱へと収められていく。名人の手で駒箱が盤の中央に置かれると、最後に両者は深々と一礼。終局直後のヒリつくような熱気や、息詰まるほどの緊張感は、いつの間にか融解していた。
先に立ち上がった渡辺名人は、報道陣に軽く一礼して対局場を後にしていった。藤井竜王は関係者から何らかの段取りを伝えられ、もうしばらくこの場に留まるようだった。
廊下ですれ違った青野九段から「お疲れ様でした」と声をかけていただく。浮月楼の美しい庭園に出て、橋を渡りながら本館に戻る間、名局の現場に立ち合えた興奮で少し心が震えている自分がいた。
名人戦第2局。藤井竜王が連勝し、史上最年少名人と史上2人目の七冠達成にまた一歩近づいた。世間が欲しているニュースは言わずもがな、だろう。
だが相対する名人は渡辺明である。かつて永世七冠のかかった羽生善治との竜王戦七番勝負で、3連敗から4連勝という将棋史上初の大逆転を見せた男だ。
「上の世代が粘らないと勝負として面白くならないですから」
筆者の脳裏に、あの日の言葉が蘇ってきた。このままでは決して終わらない。恐ろしいほど逆境に強い名人の巻き返しに期待したい。
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