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「羽生善治名人相手に奪取した姿に…」伸び悩んでいた中村太地28歳が震えた“佐藤天彦名人誕生”「1年半後、私も羽生先生から」

posted2023/04/27 11:04

 
「羽生善治名人相手に奪取した姿に…」伸び悩んでいた中村太地28歳が震えた“佐藤天彦名人誕生”「1年半後、私も羽生先生から」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

22年、年末の棋王戦挑戦者決定戦で藤井聡太五冠(当時)と対局する佐藤天彦九段。彼の「名人位獲得」は中村太地八段に大きな刺激となったそうだ

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中村太地

中村太地Taichi Nakamura

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 渡辺明名人(39)に藤井聡太竜王(20=王位・棋王・叡王・王将・棋聖と六冠)が挑む第81期名人戦。その戦いぶりや将棋界における「名人位」が持つ重みについてA級棋士・中村太地八段に聞いた。(段位などは当時。全3回の3回目/#1#2へ)

 藤井聡太竜王が渡辺明名人に挑戦する構図となっている名人戦。今期の「第81期」という回数が示す通り、将棋界で一番歴史、伝統があるものです。さらに名人位を獲得するためにはピラミッド方式になっている順位戦を1つずつ登ってA級にたどり着かなければ、挑戦するための権利すら手に入れられない。私自身、今期初めてA級に臨みますが……非常に高い頂であることを実感しています。

 客観的に名人戦の魅力について語ると……最高峰の舞台で最高の棋士同士が将棋を探求し、深く突き詰めながら時間を使って対局する。それゆえに素晴らしい超絶技巧が随所に出てくるので、その対局をぜひ楽しんでいただけたらなと思います。

徳川家康の時代から続く「将棋の名人」の歴史

 将棋における「名人」の歴史について簡単に説明すると、江戸時代の頃から存在したもので、当初は「家元制」でした。今年の大河ドラマの主役である徳川家康によって、初代名人として初代大橋宗桂が指名された1612年がスタート地点とされます。今から400年以上も前……と考えると、やはり歴史の重みを感じます。

 その後、御城将棋(徳川将軍の御前で実施された対局)が行なわれていた江戸時代を通じて継承されていき、明治時代には推薦制となりました。1935年に十三世名人の関根金次郎が退いたタイミングで、実力制の名人戦が開催され、木村義雄十四世名人が「実力制の第一代名人」に。ここから昭和、平成、令和にかけての偉大な棋士がズラリと名を連ねて〈名人の歴史〉が作られています。余談ですが私の奨励会(※棋士を目指すための養成組織)時代には、東西の奨励会員が1年に1回、国内で合宿することがありました。そこでは〈将来、将棋界に身を置くべき人間としての教養を身につけよう〉というペーパーテストがあり、歴代の名人を列記したことが記憶に残っています。

 落語や講談など伝統芸能、そのほかの物事でも卓越した技量を持つ方を「名人」と評することがあります。将棋についても、江戸時代は家元制だった名残からか「圧倒的に強い棋士=名人」というパブリックイメージがあるのかもしれませんね。ただ将棋界における「名人」は、前述した実力制になって以降は「名人戦のタイトル保有者」につく称号です。と少々おせっかいですが(笑)、お伝えしておきます。

師匠・米長永世棋聖と佐藤天彦九段の強烈な印象

 名人について、私が特に鮮烈な印象を受けた2人を挙げるなら――師匠である米長邦雄永世棋聖、そして年齢が近い佐藤天彦九段でしょうか。

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