進取の将棋BACK NUMBER
「羽生善治名人相手に奪取した姿に…」伸び悩んでいた中村太地28歳が震えた“佐藤天彦名人誕生”「1年半後、私も羽生先生から」
text by
中村太地Taichi Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2023/04/27 11:04
22年、年末の棋王戦挑戦者決定戦で藤井聡太五冠(当時)と対局する佐藤天彦九段。彼の「名人位獲得」は中村太地八段に大きな刺激となったそうだ
私自身、小さい頃から「将棋と言えば名人」と漠然と認知していた覚えがあります。さらに師匠である米長邦雄永世棋聖に入門した時点で「自分の師匠は苦労し続けて名人を獲得した」ということはおぼろげながら知っていて(※米長永世棋聖にとって初となる名人位獲得時の「49歳11カ月」は現在も史上最年長)、それだけ名人になることは険しい道で、なおかつ棋士にとって思い入れの強いものかと子供心に感じていました。
師匠が亡くなった(12年に69歳で逝去)のち、順位戦や名人戦についてどのような気持ちを持っていたのか、もっと聞いておけばよかったと残念に思うことはあります。ただ間接的に師匠の様々なエピソードを聞いてはきました。何回も挑戦しながら名人位に手が届かず、どうしたらいいのかと模索した結果「米長道場」という、自身の家に当時の若手棋士や奨励会員を集めて、将棋を学ぶ場を作りました。それは現在も行われる「研究会」の発端だとされています。そういった面で名人への想いは非常に強く感じます。
羽生善治名人から奪取した天彦九段の姿に…
もう1人、佐藤天彦九段ですが――10代の頃から交流のあった棋士の1人です。当時は「vs」(1対1での実戦研究)を長い期間やらせてもらいましたし、盤外を離れたところでは、コロナ前にフットサルで楽しく汗を流したことも(笑)。
学年にすると天彦九段が1つ上にあたるのですが、同世代の棋士として大きな刺激を受けたのが、2016年の名人位獲得です。この番勝負、現場を見る機会にも恵まれました。当時は羽生九段が複数タイトルを保持している状況で、私も二度タイトル戦に挑んだものの、奪取はならなかった。その状況の中でほぼ同じ世代の天彦九段が羽生名人に挑み、第1局こそ敗戦したもののそこから一気に4連勝を飾って新名人となりました。
当時の自分の心境を正直に言えば、順位戦でB級2組に留まっている状況で、名人を意識する場所にも全然いけていない。「名人とはものすごく遠い存在」という感覚でした。それが年が近く切磋琢磨しあった天彦九段が獲得したことで「実は手が届かないものと自分が思い込んでしまっていただけなのではないか?」とも思うようになりました。もちろん天彦九段の努力・研鑽あってこそですが……私自身も「棋士になったのならば、やはりタイトルは獲らなければ」と決意を新たにしたところがあります。