- #1
- #2
大学野球PRESSBACK NUMBER
「将来は宇宙開発の仕事を…」“JAXA志望”だった東大キャプテンが決断した“意外すぎる選択”「東大で一番やりたかったのは野球」
text by
上原伸一Shinichi Uehara
photograph byShinichi Uehara
posted2023/04/11 17:01
病気療養中の井手監督のためにも、春季リーグで奮起を誓った東大・梅林浩大(4年)
「上手くいかなかったですね。好機で打席が回ってきても走者を返せなかったですし……打てなくてもクリーンナップで使い続けてくれた井手監督に申し訳ないです。僕は打球に角度がつかないのが課題で、打球が上がらない分、アウトになる確率が高い要因にもなってます。春の練習では動画で撮影しながらフォームの改善に取り組みました」
一方、一塁での守りには定評があった。間一髪のタイミングでの捕球では、力士の股割りのように足を伸ばす。ショートバウンドに対するミットさばきもソツがなく、一塁手らしい一塁手である。「ファーストはずっと守ってきたポジションですし、静高ではかなり鍛えてもらったので」。大学ラストイヤーでは、プライドもあるポジションでベストナインを受賞したいと思っている。
東大野球部員の“多忙すぎる時間割”
学業は大学でもおろそかにしなかった。
履修科目が多かった1、2年時は朝7時45分から11時30分まで東大球場で練習すると、午後は駒場キャンパスに移動し、16時まで90分の授業を2コマ受講。頭を切り替え、勉強モードに入った。授業後、一誠寮に帰って18時に夕食を済ませると、今度は再び野球モードに。20時まで球場で自主練習に励んだ。
就寝はいつも23時半くらいで、毎朝6時半に起床するハードな毎日。それでも梅林は「高校時代に授業や勉強の時はそこに集中する習慣が身に付いたので、野球との両立は苦になりませんでした」と、意に介さない。
学業では3年生を前にある選択をした。梅林が学んでいた理科一類の学生は主に工学部や理学部に進学するなか、教育学部に進んだのだ。なぜ、航空宇宙工学科がある工学部ではなかったのか? 航空宇宙システムコースと航空宇宙推進コースを有す航空宇宙工学科で学べば、研究職としての宇宙関係の仕事にも就きやすかったのでは……そんな疑問をぶつけると、梅林は力強くこう答えた。