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「銃声や薬の売人も…」“那須川天心のライバル”志朗がタイのスラム街で過ごした壮絶な修行時代…キック新王者はなぜ“茨の道”を選んだのか
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/04/08 11:02
3月26日、志朗は右ハイキックでディーゼルレック・ウォーワンチャイをKO。那須川天心に続くRISE2人目の日本人世界王者となった
試合前後に届いた「天心からのメッセージ」とは
志朗の父は防災・防火設備の点検を主な業務とする企業の代表取締役であり、経済的には裕福な家庭だ。ムエタイの道を志していなければ、国内で無難な道を選択して、家業を継ぐという選択肢もあったはずだ。
なぜあえて茨の道を選んだのか。志朗は「当時はたぶん感覚が麻痺していただけ」と苦笑しながら、「環境の問題よりも、強い奴と一緒に練習できるうれしさの方が大きかったから。当時の96ピーナンジムには同じ年代のトップが集まっていたんです」と答えた。
現地のムエタイ選手が置かれたハングリーな環境にも惹かれるところがあった。
「自分と同世代の15、16歳の子がファイトマネーで家族を養っていたんですよ」
そうしたジムの環境は志朗の自立心を否応なしに刺激した。
「自分でやるしかなかった。おかげでタイ語を覚えることができたし」
食中毒でのたうち回ったことも一度や二度ではない。不甲斐ない試合をすれば、トレーナーから冷たい視線を投げかけられた。しかし結果的にそうした経験が糧となり、今回の戴冠に結びついたといえるのではないか。
「ずっと耐えていたけど、あの年代でああいう経験ができたということは自分にとってすごく大きかったと思う」
ディーゼルレックとの一戦が決まったとき、志朗は「グルッと回って、またタイ人とやるのか」と奇妙な因縁を感じた。
決戦当日の試合前には、ライバルだった天心から「期待しています」というメッセージが届いた。真新しいチャンピオンベルトを巻いて控室に戻ると、志朗は「(勝ったから)焼き肉をご馳走して」と送り返した。直後の天心の返信は、いつものように自信に溢れたものだった。
「いや、お互い勝つから俺がご馳走することはないよ」
その文面を見て志朗は納得した。
「アメリカのキャンプでも元世界チャンピオン(アンジェロ・レオ)と普通にスパーリングをしていたと聞いていたので、(ボクシングのデビュー戦前なのに)余裕なんだなと思いました」
かつては同じフィジカルジムに通った。沖縄合宿も一緒に敢行した。キックボクシングとボクシング。進む道は違えど、志朗と天心の関係はこれからも続いていく。
スネの痛みはしばらくとれそうもなかったが、志朗の心は晴れやかだった。
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