格闘技PRESSBACK NUMBER
「銃声や薬の売人も…」“那須川天心のライバル”志朗がタイのスラム街で過ごした壮絶な修行時代…キック新王者はなぜ“茨の道”を選んだのか
posted2023/04/08 11:02
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Susumu Nagao
「スネが痛い」
インタビュースペースに現れた新チャンピオンの志朗は、笑顔とともにそう呟いた。
「5年ほどRISEで闘ってきたけど、スネが痛くなることはなかった。それだけディーゼルレックのスネが固かったということでしょうね。久々に思い出した痛みでした。人の骨はぶつけ続けていれば固くなるけど、タイ人のそれはちょっと違うと思いましたね」
昨年まで“神童”那須川天心が主戦場にしていたRISEで、天心に続く史上2人目の日本人世界王者が誕生した。
“天心最大のライバル”にKO決着が少なかった理由
3月26日、志朗は有明アリーナで開催された『RISE ELDORADO 2023』で、ディーゼルレック・ウォーワンチャイ(タイ)を5ラウンド2分37秒、鮮やかな右ハイキックによるKOで撃破。新設されたRISE世界バンタム級の初代王者となった。
志朗はかつて“天心最大のライバル”といわれ二度にわたり激闘を繰り広げたが、いずれも判定負けを喫している。しかしながら天心が認めていたこともあり、以前からその実力は高く評価されていた。
キックボクサーとしての志朗に課題がなかったわけではない。試合運びがテクニカルなせいか、KO決着が少なかったのだ。その理由を探っていくと、志朗の格闘技のベースであるムエタイに行き着く。15歳から本場タイのジムに住み込み、のべ10年ほど同年代のタイ人選手と一緒に汗を流した。
ムエタイの主な客層はギャンブラーで、彼らを満足させるためにはデッドヒートを繰り広げた末に僅差の判定勝ちを収めることが最大の美徳とされている。日本のキック界では最大級に称賛されるKOだが、ギャンブルを主体にしたムエタイにおいてKO決着は決して多くない。いわば万馬券のようなものだ。志朗のKO率が低かったのは、ムエタイのキャリアが影響していたのかもしれない。
2018年11月から志朗は拠点を日本に移し、RISEを主戦場にするようになった。そのために骨の髄まで染み込んだムエタイを一度封印。パンチを主体とした日本のキックボクシングで「どうすれば勝てるのか」を模索し始めた。中盤以降は首相撲からのヒザ蹴りの攻防が多くなるムエタイに対し、RISEはワンキャッチワンアタック(一度の掴みで攻撃は一回のみ)というルールによってスピーディーな展開が多くなる。
その結果、志朗はキックボクシングとムエタイを絶妙にブレンドした独自のファイトスタイルを構築した。オフェンス面だけではなく、ディフェンス面も優れているという点は天心と共通する。4ラウンドまでポイントでリードし、最終5ラウンドに「意識して当てようと思っていました」というハイキックでKOしたディーゼルレック戦は、希代のテクニシャンにとっても“最高の勝ち方”といえるのでないか。