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「銃声や薬の売人も…」“那須川天心のライバル”志朗がタイのスラム街で過ごした壮絶な修行時代…キック新王者はなぜ“茨の道”を選んだのか
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/04/08 11:02
3月26日、志朗は右ハイキックでディーゼルレック・ウォーワンチャイをKO。那須川天心に続くRISE2人目の日本人世界王者となった
「僕にとって日本のキックは“ボクシングキック”。だからボクシングジムにも出稽古に行く。試行錯誤した結果、今回ようやく形になったんだと思います」
「銃声や薬の売人も…」タイのスラム街で過ごした日々
長年、タイに住んでいたおかげで志朗はタイ語を当たり前のように話す。今回も試合時間の経過を伝える相手陣営のタイ語が否応なしに耳に入ってきた。
「(歓声で)全部が聞こえていたわけではないけど、時間の経過に関していえば『ラスト1分!』とかタイ語の方が聞こえましたね」
志朗がタイを主戦場にしていた頃、筆者は彼の試合や練習を幾度となく現地で取材している。バンコク市内の「96ピーナンジム」に在籍していたときには、ジムがあったスラム街にも足を向けた。
ジム近くに車を路上駐車しようとすると近隣の住人が出てきて駐車代を要求してきたので、「ボッタクリだろ!」と叫びたくなった記憶がある。しかし被害総額わずか数百円のエピソードなどは序の口で、そこに住んでいた志朗はよりハードな体験を重ねていた。
「銃声は何度か聞いたことがあります。減量中のタイ人選手が公園で5人くらいにボコボコにされて試合に出られなくなったこともありました。そのときは暴漢のひとりが拳銃を撃ったことで警察沙汰になりました。スラム街に入り込んだ日本人がうしろから殴られたこともありましたね。薬の売人もいっぱいいました。警察官が薬を売っている現場を目の当たりにしたこともあります」
以前からタイの警察官の汚職は現地で社会問題になっている。麻薬の売買など、その一端にすぎない。
ジム周辺の衛生状態にも閉口した。あたりにはゴミが散乱しており、ときおりすえた臭いが鼻孔をついた。掘っ建て小屋のような選手の合宿所もお世辞にも清潔とはいえず、「どんなに妥協しても普通の日本人だったらここには絶対に住めない」と思ったものだ。
自分がどんなところに住んでいるのかは、10代の少年だった志朗も把握していた。
「休日に繁華街に出かけ、知り合いになったタイ人に『どこから来たの?』と聞かれても、絶対にスラム街の地名を口にすることはなかったですね。(近くの大通りである)ラマ四世通りとか言ってごまかしていた(笑)」