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WBCイタリアの現地リアル人気…「地上波放送なし」「ピアザはとんでもないペテン師」なぜ8強なのに“嫌われた監督”状態なのか
posted2023/03/16 17:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Kyodo News
16日のワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)準々決勝で日本と対戦するイタリアは、言わずとしれたサッカーの国だが、欧州きっての“野球の国”でもある。
一般国民の関心は甚だ低いものの、サッカー同様、「アッズーリ(青色)」の愛称で呼ばれる代表チームは欧州選手権を10度制したヨーロッパの雄だ。五輪と並ぶ檜舞台であるWBCで2大会ぶりの8強進出に、イタリア球界は沸き立っている。
だが、実際のところ彼らのWBCへの思いは複雑だ。現地のセリエBクラブに在籍した経験を持つ筆者が、イタリア代表とリアルな野球事情を2回に分けてお伝えしたい(#2も)。
アテネ五輪時に語った「日本に勝つ確率0.1%」
「日本に勝つ確率? 0.1パーセントだよ」
今から19年前、アテネ五輪前に取材したFIBS(イタリア野球ソフトボール連盟)のマッシモ・フォーキ副会長は、戦う前から半ば諦め顔だった。五輪初戦での対戦が決まっていた日本は「逆立ちしても勝てない大国だ」。
同時に取材した代表投手2人も、日本野球への畏敬の言葉を率直に並べた。
「打者のスイングが素晴らしい。印象的なのはヒッティングした後の走塁動作だ。一歩目へのスピードがものすごく速い」
「投手陣も含めてだけど、日本のチームは試合の“流れ”をコントロールできるところが恐ろしい。のんびりやっていたかと思うと、局面でいきなり攻撃と守備の強度を上げてくる。試合のリズムの変化に自分たちは対応できない」
当時の代表はそのほとんどが、サッカーや他の競技同様「セリエA」と呼ばれる国内1部リーグの選手たちで編成されていた。ロースター中、北米組は数えるほどしかいなかった。
実は100年クラスの歴史を持つイタリア野球
イタリア野球の歴史は古い。
端緒は、1920年代にアメリカとミラノを行き来していたピエモンテ州出身の実業家マリオ・オッティーノ(通称マックス・オット)が企画したエキシビションマッチとされる。彼は第二次大戦終結間際に本帰国すると、ローマに進駐した米軍兵士たちによる試合を運営した。その後、1948年の国内リーグ創設にも尽力したオッティーノこそ“イタリア野球の父”と呼ぶべき人物だろう。
当時書かれた手記をいくつか読むと、戦後の日本とまったく同じような情景が描かれている。貧しかったイタリアの子供たちは連合軍が配るチョコレートやキャラメルに憧れ、兵士たちが余暇に興じるベースボールなるものに魅了された。専門誌の記事によると、1946年からの2年間にローマ市内だけで52チームが結成されたらしい。