セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
ファウルが飛ぶと「オフサイドだろ!」「試合中に選手がラザニア」イタリア人は野球をどう楽しんでる? 現地でプレーした日本人記者の記憶
posted2023/03/16 17:01
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Takashi Yuge
「おまえ、日本人だろ。なら、ベースボールできるよな?」
唐突に、一つ年上の友人サントが誘ってきた。
主将は印刷屋、捕手は薬剤師、エースは無職
ずっと昔に住んでいたイタリア半島の南端の町レッジョ・カラブリアには、驚くことに野球の専用グラウンドがあった。
町のクラブ「サン・ジョルジョ」は当時セリエB(イタリア3部リーグ)に参戦していたが、慢性的な選手不足に悩まされていたらしく、軽い気持ちで練習に顔を出したら“オーバースローでボールを投げられる”というだけで大歓迎された。あれよあれよという間に選手登録がなされ、セリエBクラブ入団が決まった。移籍金ゼロだ。
「さ、キャッチボールしようぜ!」
バシッ! え、この鈍くて重い感触は……。
子供の頃の草野球しか経験がない僕は、借り物の中古グラブで受けた“硬球”に呆然とした。15mほど先のサントがニコニコ顔で早く返球しろと急かしている。
地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。
セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。
主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。
練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球が好きなことは変わりない。
試合に出ていないメンバーは当然、ボール回収係
イタリアの野球は“ないない尽くし”だ。
まずボールがない。そもそも野球用具を売っている店が何百キロと離れていた。アマゾン・イタリアもまだなかった。ボールは貴重品だから練習でも試合でもファウルが飛べば一大事、試合に出ていないメンバーはボール回収係だ。
当初、ホームグラウンドでの練習に参加するだけだった僕は、クラブの育成部門からセリエC2(5部)に参戦するU-18チームのオーバーエイジ枠と1人分しかない外国人枠があてがわれた。高校生たちのアウェーゲームに帯同されるようになり、いよいよ公式戦デビューだと喜んだら、最初のシチリア島遠征で愕然とした。