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近藤健介“じつは一般入試組だった”横浜高時代「将来は料理人になりたい」あの名物コーチ・同級生が明かす“それでも天才だった”話 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kashimoto

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photograph byNaoya Sanuki

posted2023/03/14 11:04

近藤健介“じつは一般入試組だった”横浜高時代「将来は料理人になりたい」あの名物コーチ・同級生が明かす“それでも天才だった”話<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

近藤は料理が得意で、高校時代に寮の合宿所で補食のチャーハンやスパゲティを作って食べていたようだ

 東日本大震災の年で、野球どころではない空気があった。首都圏は計画停電に協力し、野球部の活動も制限された。センバツは同じ神奈川の東海大相模が優勝したが大会は粛々とした雰囲気で行われ、全国制覇の盛り上がりも自粛ムード。横浜も強い代とはいいがたく、松田遼馬(元阪神など)擁する波佐見に初戦で1-5と敗戦し、4番キャッチャーの近藤も2打数ノーヒット3四球と力を発揮できなかった。チームはそのあと大改革をおこない、新キャプテンを3年生24人で総選挙。多数決で乙坂が選ばれた。結果としてはこの配置転換が奏功し、プレーヤーに専念した近藤が活躍することになる。夏の神奈川大会は不振だったが、桐光学園との決勝戦では延長10回サヨナラ打を打って2-1で勝利。夏の甲子園出場へと導いた。「さすが! コンちゃん!」。満員の横浜スタジアムの外野席でこの試合を観ていた筆者は、近藤の勝負強さに改めて感心させられたものだ。

将来は料理人になりたいんですよ

 近藤は料理が得意で、寮の合宿所で補食のチャーハンやスパゲティを作って食べていたようだ。「将来は料理人になりたいんですよ」と真顔で話していたことがあったが、冗談だと思っていた。数年後、日本ハム時代に「食とスポーツ出前授業」で北海道の小学生とソーセージの腸詰め体験を満面の笑みで行っていたニュースを見たときは、夢は本当だったのだと知って驚いた。勝負強くて、料理が好きで、少しぽっちゃりしていて、一時期ダイエットにハマっていた。取材で特別多く話したわけではないが、それが高校時代の「コンちゃん」像である。

自分から売りこんで入学してきた筒香と近藤

 近藤がスポーツ推薦組ではなく、一般入試組だったという驚きの事実は卒業してだいぶ後になって聞いた。修徳中で活躍していた近藤だったが、当時、全国の有望中学生の情報をほぼ網羅していた小倉でも知らない、軟式出身の選手だった。「良い選手だったらしいんだけど、全く知らなくてね。向こうから『横浜高校に入りたいです』って売り込んできたんだよ」。小倉いわく「長い指導歴の中で、自分から売り込んで野球部に入ってきたのは筒香と近藤の2人だけ」。筒香も近藤も、1年春からAメンバーに入っていたので、それを知る者はほとんどいなかったように思う。和歌山から来た筒香は入学時から野球部寮に入れてもらえたが、千葉出身の近藤は当初、通いだった。早朝・深夜の電車通学を続けながらレギュラー入りを果たしたのは、教育者の両親のサポートも大きかったに違いない。小倉は「近藤の親は息子が出た300試合、全部見に来てたんじゃないかな。特に母ちゃんが立派だった。スタンドで一人で観戦している日もあったからね」と感心する。

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