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J1新潟“遅咲きのテクニシャン”がいよいよ覚醒?「プライドが邪魔していた」大物ルーキーだった伊藤涼太郎(25歳)古巣・浦和でなぜ苦悩
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/03/14 11:03
J1復帰を果たしたアルビレックス新潟の好調ぶりを象徴するMF伊藤涼太郎の躍動。18日の次節は古巣・浦和戦に臨む
浦和での最初の1年半で得た出場機会はリーグ戦1試合、カップ戦1試合のみ。状況を打破すべく、プロ2年目の17年9月にレンタル移籍した水戸ホーリーホック(J2)で飛躍の引っ掛けを掴み、18年はリーグ戦34試合出場、9ゴールをマークした。翌19年はJ1に昇格したばかりの大分トリニータにレンタル移籍。着実にステップアップを踏んでいるかに感じさせたが、またもJ1の壁に苦しみ、大分ではリーグ戦4試合出場にとどまった。20年に浦和に復帰するも、そこからまた1年半はほとんど出番はやってこなかった。
その理由として“好不調の波”が挙げられる。自分のテンポでプレーできている時間帯は輝きを放つが、ボールが来なくなると一気に試合から消えてしまうという悪癖があった。
その元凶となっていたのが、伊藤のメンタル面の甘さだった。学生時代から強気なメンタリティーの持ち主ではあったが、時に我が強すぎるあまり、周りとの連係にズレが生じ始めるとプレーリズムを崩してしまっていた。厳しい言い方をすれば、“ワガママな選手”だったのだ。
「このままじゃ2、3年後に終わる」
変化が生まれたのは、21年7月に2度目のレンタル移籍となった水戸での時間だった。
まず、目に留まったのは守備への意識。これまでは自分がボールを受けたい場所を探しながら、そこでボールを要求するプレースタイルだったが、この頃の伊藤が水戸で見せていたプレーは積極的に守備に加わって、相手にプレスを仕掛け、奪ったボールを前に運ぶアグレッシブなもの。味方につないでから自分が行きたいスペースに走っていくという、献身性が加わっていた。この変化の理由を問うと、伊藤の目が鋭くなった。
「このままじゃ俺は2年後、3年後に終わってしまうなと本気で思ったんです」
この言葉の裏には2人の選手の存在がある。