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J1新潟“遅咲きのテクニシャン”がいよいよ覚醒?「プライドが邪魔していた」大物ルーキーだった伊藤涼太郎(25歳)古巣・浦和でなぜ苦悩
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/03/14 11:03
J1復帰を果たしたアルビレックス新潟の好調ぶりを象徴するMF伊藤涼太郎の躍動。18日の次節は古巣・浦和戦に臨む
話を2021年前半に戻す。浦和に復帰を果たすも出場機会を得られないでいた伊藤のもとに、J2で結果を残した同い年のMF明本考浩と、1つ上の小泉佳穂が“個人昇格”を果たして加入してきた。チームの変革期に求められて浦和にやってきた彼らは瞬く間にレギュラーポジションを確立していったのだ。
「あっという間に抜かされたという感覚でした」
明本も小泉も大学の4年間を経て、J2のクラブに入った。いわば“スーパーエリート”である伊藤からすれば、回り道をしてきた選手たちに一気に追い抜かれたということになる。
「明本くんも、佳穂くんも浦和に来た時、『絶対に這い上がってやるんだ』という気迫を物凄く感じたんです。普段の練習から意欲や熱量が段違いで驚いているうちに、あれよあれよと地位を確立していった。その姿を目の当たりにして、『俺は何をやっているんだろう』と思うようになったんです」
まさにウサギとカメ。初めて自分に向き合う時間だったのかもしれない。伊藤はここまでのキャリアを改めて深く振り返った。
「1年目から試合に出るつもりで、日本代表に入るという明確な目標を持ってプロのキャリアをスタートさせましたが、どこかで勝手に『自分はすごいんだ』と勘違いをしていた。いつまでも(浦和に高卒で入った)プライドが邪魔をして自分の殻を破れないでいたと思います」
浦和との別れ、新潟への「完全移籍」
水戸で半年間過ごした伊藤は、大きな決断を下すことになる。
「ちょうど(当時J2の)アルビレックス新潟からオファーが来て、魅力的なチームだと思いました。ただ、浦和から新潟にレンタル移籍をするか、完全移籍をするか、その2択になったんです」
浦和で活躍したいという思いで始めたプロ生活。その“看板”が外れてしまうことが怖かった。新潟で活躍し、そこから浦和に復帰して次こそはチームの主軸になるという思いもあったと本音を明かす。だが、「ここで覚悟を決めないと次はない」という危機感が勝った。
2022年、伊藤は退路を断った。不完全燃焼に終わった浦和での生活に別れを告げ、新潟への完全移籍を選択する。
「もう若手と呼ばれる存在ではないし、J1で出ているのが当たり前の年代なのに、自分はいまだにレンタルでJ2に行こうとしているのが恥ずかしいというか、甘えているなと思ったんです。ここで甘えたら本当に終わってしまうと思った」