将棋PRESSBACK NUMBER
藤井聡太“20歳の名人挑戦”に「充実感があります」…羽生善治&谷川浩司「初名人の道」を開いた“A級順位戦プレーオフ伝説”とは
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2023/03/10 11:04
史上2番目の年少記録で名人挑戦を決めた藤井聡太五冠
中原-谷川のプレーオフの対局の戦型は、当時の定番だった相矢倉。先手番の谷川が先攻して有利になったが、中原に盛り返されて形勢は混沌とした。谷川は「負けにしたか」と思った状況もあったそうだが、中原のミスによって何とか勝った。
谷川は後に自戦記で、《対局中、私は棋士になって初めて震えを経験した》と書いた。1983年の名人戦で、谷川八段はタイトル戦に初登場する。そして、加藤一二三名人(同43)を4勝2敗で破り、21歳2カ月の最年少記録で名人位を獲得した。
谷川-羽生のプレーオフで起きた予想外の事態
その11年後、1994年A級順位戦の最終戦で、6勝2敗の谷川王将とA級1期目で7勝1敗の羽生棋聖(同23=王位・王座・棋王を合わせて四冠)が対戦した。羽生が勝てば名人戦の挑戦者になる。その将棋の終盤では、谷川が相手玉の7手詰めを見落として混戦になったが、羽生にも失着が出て谷川が勝った。
その結果、谷川と羽生が7勝2敗で並んだ。両者のプレーオフは3月18日に大阪の関西将棋会館で行われた。
羽生は後に自戦記で、《名人戦の挑戦者になるのは、そんなに簡単ではないという意識があった。だからA級最終戦で敗れても、それほど残念ではなかった。プレーオフを戦うのも、貴重な経験であるという心境だった。プレーオフの前後は、風邪をひいて最悪の体調だったが、逆に気持ちは充実していた》と書いた。
プレーオフの対局開始時に予想外のことがあった。和服を着用して対局室に先に入った羽生が、上座(床の間に近い方)に座ったのだ。
「上座での対局姿は颯爽としていた」
タイトル保持者同士の対局では、先輩の棋士が上座に座るのが通例である。しかもA級の順位では、4位の谷川が9位の羽生より上位だ。谷川が上座に座るのが常識といえる。羽生は上座の通例を知らなかったのか、それとも四冠の肩書がそうさせたのか……。真相は不明だった。谷川が異議を唱えなかったので、対局はそのまま開始された。
その場面を撮影したカメラマンは「羽生さんの上座での対局姿は颯爽としていて、とても様になっていた」と語った。また、ある観戦記者は「羽生は単なる優等生ではない。怪物が正体を現わしつつある」と評した。
谷川-羽生のプレーオフの対局は、角換わり棒銀の戦型になった。中盤の勝負所で谷川が指した疑問手が響き、羽生が完勝する結果となった。対局開始時、羽生の無言の迫力によって、勝負はそこですでについていた――という声もあった。