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奇跡が重なった“甲斐キャノン”誕生「もしあのままセカンドの選手だったら…」“小さな捕手は成功しない”常識をひっくり返した天性の才能
posted2023/03/08 17:01
text by
前田泰子Yasuko Maeda
photograph by
KYODO
世界一を目指す侍ジャパンでチームを牽引する活躍を期待されるのが、東京五輪でも正捕手として金メダル獲得に貢献した甲斐拓也(30歳)だ。
2011年に育成ドラフト6位でソフトバンクに入団。プロ3年目に支配下登録を勝ち取った甲斐は、翌14年に一軍初出場。そこから常勝軍団の正捕手として絶対的な地位を築いた。リーグ優勝を逃した昨季も6年連続のゴールデン・グラブ賞を、そして自身3度目となるベストナインを受賞。「甲斐キャノン」という異名が定着するほど、誰もがが認める日本を代表する捕手に上りつめている。
そんな球界No.1キャッチャーが生まれた背景には、いくつもの偶然が重なっている。
「いいキャッチャーだと思いました」
甲斐の母校、大分・楊志館高校でコーチを務めていた赤峰淳さん(40歳、現・明豊高校野球部部長)は、中学時代の甲斐が所属していた「大分リトルシニア」の試合を視察に訪れた。
「いいキャッチャーだと思いました。構えや動き、座った姿や返球を見てこれはいいなと。肩も良かったですしね」
甲斐の3学年上の兄・大樹さんは07年夏に同校を初めて甲子園に導いたエース。140キロ中盤の速球を投げ、プロからも注目されていた本格派右腕で、甲子園ベスト8までチームを牽引した。だから当時の印象は「大樹の弟」というぐらい。しかし、赤峰さんはマスクをかぶった細身の小柄な少年の存在が、なぜか脳裏に焼きついていた。
兄の後を追って楊志館に入学してきた甲斐を見た赤峰さんは驚いた。キャッチャーと認識していた甲斐がセカンドのポジションでノックを受けているのだ。
「え、あいつなんでセカンドにいるんだと、びっくりしましたね。確かに小さくてスピードがある、まさにセカンドの典型みたいな選手だったんですが……」
もともと甲斐の中学時代のポジションはセカンドだった。当時は腰痛があったため捕手でプレーできず、試合でマスクを被ったのはわずか数試合だけ。指導者の記憶にも残っていないほどだった。
つまり、赤峰さんは甲斐がマスクをかぶった“わずかな試合”に偶然足を運んでいたことになる。その記憶が、甲斐の運命を変えた。