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奇跡が重なった“甲斐キャノン”誕生「もしあのままセカンドの選手だったら…」“小さな捕手は成功しない”常識をひっくり返した天性の才能
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前田泰子Yasuko Maeda
photograph byKYODO
posted2023/03/08 17:01

2010年秋、ソフトバンクに育成6位で指名を受けた甲斐拓也(楊志館)。いくつもの偶然が重なり、キャッチャーという天職に出会った
「拓也、キャッチャーってどう?」
入学して1カ月ぐらい経った頃、赤峰さんは甲斐に問いかけた。
「やりたいです」
甲斐も即答するほど、捕手転向に前向きだった。チーム内でも捕手のポジションは層が薄く、軸となる捕手を決めかねている事情があった。中学時代の指導者には「拓也は腰が悪いからキャッチャーは無理だろう」と反対されていたが、赤峰さんは思い切って宮地弘明さん(50歳、楊志館元監督)に「拓也をキャッチャーにしましょう」と提案した。
当時は“大型捕手”が主流の時代
赤峰さんの提案を聞いた宮地さんは、すぐにはうなずけなかった。
「拓也がキャッチャーというのはイメージなかったですね。野球センスはあったけど、キャッチャーとしてはどうかなと。キャッチャーというと身体がしっかりしているというイメージだったので」(宮地さん)
当時は大型捕手が主流の時代。小柄な捕手は成功しないという考えがあった。ただ本人の意思を尊重してとりあえず練習させてみることにした。練習で座らせてみると、捕手としての実力は宮地さんの予想を遥かに超えていた。
「拓也は小学生の頃、ダンボールでレガースを作ってキャッチャーのまねをしたりしていたぐらいで、もともと興味があったみたいなんです。ちょっと練習したら、もう完全にキャッチャーでしたね。キャッチングもスローイングも申し分ない。ステップなんかは見事でした。座りっぷりは本当に良かったですよ」
中学時代、セカンドの位置から捕手の動作をずっと観察してきたのだろう。指導者が何も教えることもないぐらい、その動きは完成されていた。