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なぜガンバ大阪DF半田陸は鳥栖・川井健太監督に感謝を伝えたか…「SBで勝負したい」19歳時の決断と山形時代の縁〈パリ世代インタビュー〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/03/01 17:00
モンテディオ山形からガンバ大阪の一員となった半田陸。パナソニックスタジアム吹田を沸かすことはできるか
クラモフスキー監督のサッカーはポジショナルプレーの概念をベースに、攻守においてゲームを支配するスタイルである。右サイドバックの半田にも、ボールがうまく循環するような、相手を混乱させるような、ロジカルな立ち位置とプレーが求められた。
そんな現代的なサイドバック像構築のサポートをしてくれたのが、コーチに就任した川井だったのだ。
「ボール扱いといった基本的なところから、立ち位置、スペースへの走り方など、イチから全部教わりました。『チームの勝敗は気にしなくていいから、自分のパフォーマンスに集中しろ』とも言ってくれて、気が楽になったのを覚えています」
それまでも、右サイドを駆け上がるだけでなく、ピッチ中央に潜り込むトライはしていたが、「立ち位置も曖昧で、雑なプレーが多かったと思います」と半田は振り返る。
「健太さんには感謝してもしきれないです」
だが、川井と出会って、プレーが整理されていった。
「試合前にも、対戦相手を分析して『今日はここが空くよ』とかアドバイスをしてくれたり、試合後や練習後には映像を使ってミーティングをしてくれました」
コーチとして川井はチーム全員をサポートしていたが、特に自分は気にかけてもらったという印象が、半田にはある。
「当時アヤックスにいた(ヌサイル)マズラウィ(現バイエルン)の映像もよく見せてもらいましたね。マズラウィは内側でも普通にプレーできますし、ゴール前にも入っていって、ラストパスを出したり、シュートまで行ったりもする。自分もそういうプレーを参考にしていました。だから、健太さんには感謝してもしきれないです」
22年に川井がJ2クラブのコーチからJ1クラブの監督へと転身すると、その1年後、半田も戦いの舞台をJ1へと移した。
23年シーズンのホーム開幕戦は、頑張っている姿をかつての恩師に見せるという意味で、半田にとって特別なゲームだったのである。
(後編につづく)
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