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なぜガンバ大阪DF半田陸は鳥栖・川井健太監督に感謝を伝えたか…「SBで勝負したい」19歳時の決断と山形時代の縁〈パリ世代インタビュー〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/03/01 17:00
モンテディオ山形からガンバ大阪の一員となった半田陸。パナソニックスタジアム吹田を沸かすことはできるか
「サイドバックとして勝負がしたいと、そのオフに強化部に伝えました。僕は176cmと身長が高くないので、生き残るにはセンターバックではないなって、ずっと思っていたんです。U-17W杯の頃から、強い意志ではなかったですけど、サイドバックをやりたいなって。あの大会でセンターバックは無理だと痛感したわけではなくて、センターバックも楽しいし、W杯でも十分やれたんですけど、将来、世界で勝負することを考えると、サイドバックのほうがいいだろうと」
とはいえ、プロ3年目を迎える19歳の青年が、掴みかけているレギュラーの座を自ら手放すことは、勇気のいる決断ではなかったか。
「いや、その怖さはまったくなかったですね。覚悟を持って、サイドバックで勝負したいと伝えました」
右サイドバックへの転向――。
それは同時に、不動の存在への宣戦布告を意味していた。
右SB転向直後、全く出番が巡ってこない時期に…
山形の右サイドバックを預かるのは、08年に市立船橋高から加入して以来、山形ひと筋でプレーする山田拓巳である。このバンディエラからポジションを奪わない限り、半田の右サイドバックとしての道は開けない。
「山さんはずっと試合に出続けてきた選手。監督が代わっても試合に出続けられる選手ってなかなかいないので、凄いなとずっと思っていましたし、そこにどうやって自分が、と考えていました」
半田の希望どおり、21年シーズンはキャンプから右サイドバックで起用されたが、山田の壁を越えられぬまま開幕を迎えることになる。
開幕から3試合続けてベンチ入りしたものの、1秒たりとも出番なし。勝負のシーズンに固めた覚悟は、早くも打ち砕かれてしまう。
「山さんの存在は確固たるものがあったので、これは無理だなって。今だから話せますけど、仲介人に『サイドバックとして、どこかレンタル移籍できませんか』って、相談していましたから(苦笑)」
4節の栃木SC戦では、左サイドバックの松本怜大の負傷によって87分からピッチに立ったが、なんのアピールにもならなかった。
当初は「立ち位置も曖昧で、雑なプレーが多かった」が
ところが、松本の長期離脱が決まり、山田が左サイドバックに回ることになって、半田に右サイドバックとしての出場機会が巡ってくるのだ。
「あのままベンチだったら、何もないシーズンでしたね」
その後、石丸監督に代わって就任したクラモフスキー監督のもとで、半田は右サイドバックとして起用され続けていく。